From 師範代Shinya(新村真也)
(→前回のつづき)
前回の記事では、英語力が上がるにつれて、僕の周りの人間関係が変化していった話をお伝えしました。
人間関係は、ネイティブの友達が増えただけではありません。日本人の人間関係も変わっていきました。
不思議なことに、英語力が上がるにつれて、自分と同じかそれ以上の英語力を持つ日本人の人たちと出会うようになりました。
出会う場所は、外国人の集まるバーだったり、そこで知り合った人が紹介してくれたり、ネイティブの集まるイベントだったり、通っていた英会話スクールのパーティーなど色々でしたが、なぜか僕の周りには英語力が高い人や、英語学習を頑張っている人たちが増えてきました。
これはおそらく、「類は友を呼ぶ」という法則が働いているからだと思います。
比べる対象が変わる
自分の周りに英語ができる人たちが集まってくると、「比べる対象」が変わってきました。
最初のうちは、僕が自分自身と比べていた対象は、周りの同僚や友人など、「英語を勉強していない人たち」でした。その中では、自分は英語ができる方だと思っていました。
でも、周りに英語ができる人たちが集まってくると、自分と比べる対象が「英検1級を持っている人」とか、「TOEIC900点ホルダー」とかになってきました。
そして、自分はまだまだだな、と感じるようになりました。
そういう点では、初心者の頃の方が心の中では「ドヤ顔」だったと思います。
そして、英語力が上がるにつれて、自分の身の丈が分かってきて、ドヤ顔ができなくなってきました。
ネイティブと比べなくなる
もうひとつ、意外な変化が心にありました。それは、「ネイティブ」に対する見方です。
僕が英会話を始めたばかりの頃は、ネイティブは「神」のような存在でした。
英語を自由に使いこなせるのはネイティブなんだから、ネイティブが一番スゴい!ネイティブのようにしゃべれるようになるのを目標にしよう!と思っていたのです。
自分とネイティブを比べて、「まだまだだな!」と思っていました。
ところが、英語力が上がるにつれて、ネイティブ達とスムーズがコミュニケーションができるようになってきて、その心境に変化が出てきました。
「英語がしゃべれることがスゴいんじゃなくて、日本語と英語の両方がしゃべれることがスゴいんじゃないか?」
と感じ始めたのです。英語が話せる人口は、世界に17億人いると言われています。17億人の1人になるだけでは、あまり希少性はありません。
でも、日本語がしゃべれる人は1億3千万人+ごくわずかです。さらにその中で、英語と日本語の両方を話せる人の数となると、大幅に減ります。
つまり、2つの言語を操れるようになることの方が、ひとつの言語をペラペラにしゃべれることよりも価値が高いのでは?と思うようになってきたのです。
そして僕は、「ネイティブ信仰」から目覚めて、素に戻りました。
これは、自分でも意外な変化でした。
周りに打ち明けるタイミング
僕は、当時の同僚や上司、友達などに知らせずに、こっそり英語学習を始めました。
自分がペラペラになったタイミングで、突然打ち明けて、目の前で英語を流ちょうに話して見せて、驚かせようと思っていたのです。
ところが、実際に彼らの目の前で自分の英語力を披露するシーンは訪れませんでした。
僕は当時、ジーンズショップの店長をしていたのですが、以前勤めていたお店と違って、地域的に外国人が立ち寄る確率がとても低いお店でした。
年に1回~2回ぐらいの頻度で金髪女性たちが入って来ることがありましたが、彼女たちはたぶんロシア人でした。(少なくとも、英語はしゃべっていませんでした)
なので、僕は自分の力を誰かに見せる機会がないまま、英語力が上がっていきました。
すると今度は、打ち明けるタイミングがなくなってきました。一番打ち明けたかったタイミングは、むしろ最初の頃、ちょうど1年たった頃でした。
ちょうど1年たった頃は、外国人の友達が増えてきて、まだそんなにしゃべりに自信があるわけでもないけど、ネイティブに囲まれている俺、カッコいい!みたいな気分になっていました。
その頃が一番自慢したかったのですが、自分から急に、「俺、英語やってるんだけどさぁ!」なんて言えません。
周りに打ち明けるタイミングを逃したことで、もう、どうでも良くなってきました。
そのうち僕は、仕事とプラベートで2つのまったく違ったライフスタイルを送るようになりました。
・・・つづく。
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