from 師範代Shinya
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英語の「話す力」なぜ必要? スピーキングテストを入試に導入する東京外国語大が「
以前、僕のYouTube動画でも取りあげたことがある「高校入試で行われた英語スピーキングテスト」がモメているらしいのです。
受験者や親から苦情が殺到して、大学教授たちも中止を求めていると、記事に書いてありました。
これを受けて、運営をしているベネッセが今年撤退することが決まったらしいです。
きっと苦情処理の負担の方が、利益よりも上回ってしまったのでしょう。
今後は、IELTSを運営している「ブリティッシュ・カウンシル」が引き継ぐとのことです。
去年出た苦情の内容としては、
・機器の不具合があり、8人の受験生の解答の一部が録音されずに、得点が低く出た。
・単発アルバイトによる試験監督に不満が出た。
・受験していない生徒が、受験している生徒の点数を上回る「逆転現象」の可能性がある。
・166件の「音漏れ苦情」があった。前半に受験している組の生徒たちの解答の声が、待機中の後半組の生徒達の耳に入ってきた。
・結果が出るのが遅すぎて、志望校の選定に影響が出る。
などでした。
さらに今年出た苦情として、
・イヤーマフ(ヘッドホン型の耳栓)をした状態で受験している最中にも、周りの生徒たちの話す英語が聞こえてしまい、気が散ったという声が多かった。
・周りの生徒たちの話す英語の声が録音されてしまっていることが分かった。正確なジャッジができるのか?疑問が出てきた。
・親たちが録音音声の開示を求めたら、開示された音声がめちゃくちゃ加工されていて、明らかに他の人の音声が入っているのをごまかしているっぽい。
などです。
親や大学教授が中止を求めている中で、強行突破するのはかなり勇気がいるでしょう。
改革 VS 抵抗
新しい試みをすると必ず抵抗が出るのは、どの世界でも同じだと思います。
これまでにも、日本の英語教育を変えよう!という試みは何度も行われてきたと思います。
一方で、そのたびにモーレツな批判にあい、大きな変革は行われてない気がします。
「日本の英語教育は読み書き中心で、明治時代とあまり変わっていない」と言われているのは、やはりこの抵抗をはねのけるのがいかに大変かを物語っていると思います。
僕も今は第三者的な視点で見れますが、もし自分の子どもが中学3年生で受験を控えている状態だったら、苦情を言う親の1人になっている可能性もあります。
ただ、今のネット記事情報だと「反対派優勢」のように見えるので、僕自身は中立的な視点で書いてみたいと思います。
変革には必ず痛みが伴う
何かを大きく変えるためには、必ず痛みが伴います。
最初から完璧な準備をして、スムーズに移行できるケースは少ないでしょう。
特に学校教育のように、決められた慣習が長年に渡って行われてきた世界では、「今のままでいたい」という気持ちの方が、生徒側も先生側も上回ると思います。
変革をする世代の生徒と親たちは、「今、私たちの世代でそれやらなくてもいいじゃん!私たちより後のタイミングでやってよ!」と思うはずです。
そうやって先送りにし続けてきた結果、明治時代からあまり変わらない英語教育システムを引き継いでいるのではないでしょうか。
今回のスピーキングテストのように、これまで学校教育の現場で行われたことがないような試みの場合は、想定される問題をすべてクリアしてから実施するのはかなり難しいと思われます。
僕が個人的に思うのは、「変える順番が違うのではないか?」ということです。
「本番一発勝負」の受験システムを先に変えた方が良いような気がします。
1度の失敗も許されないシステム
「みんなが一斉に同じ日に同じ問題の紙のテストを受けて、その点数が運命のすべてを決める。1度受験に失敗したら、その後のリカバリーがとても難しい。」
というシステムが前提としてあるから、「1度の失敗も許されない!」という風潮が出来上がっているんだと思います。
新しい試みをするためには、「失敗が許される環境」を先に整える必要があります。
・とりえあず1回やってみてフィードバックを受けた後、大きな問題点を改善。
・改善した2回目をやてみてから、また次の大きな問題点を改善。
・3回目あたりから、細かい問題点に手を付け始める。
・繰り返しているうちに、5~10回目ぐらいでだんだん良い感じになってくる。
とういうのが自然な流れだと思います。
でも、今の受験システムでは、1度失敗しただけで批判が殺到してしまいます。
みんな自分の人生(親にとっては我が子の人生)が、この一発の受験にかかっているのだから、そういうリアクションになるのは当然です。
だから、まずは「一発受験システムの廃止」が先に必要なのでは?と僕は思いました。
もちろん、これを変えるのはめちゃくちゃ大変だと思いますが・・・
・・・つづく。
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From 師範代Shinya(新村真也)
(やり直し英語達成道場 師範代)
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こんにちは、いづみです。
今回の記事、まさに今中3の娘が渦中におります。
今月26日が試験日です。
試験導入直後からかなりの苦情があったESAT-J。
私も廃止されないかなと思っていた(願っていた)親の一人です。
東京都の公立中学生のみが受けるので、他県の方々はブログを読まれてもピンと来ないかも知れませんね。
不公平感が極まりないのが、親も子供も塾講師も廃止を願う理由なのだと思います。
採点は確かフィリピンかどこかに送られてされてると聞きました。
採点者によっても大きく点数に差がつきそうですよね。
ブログにも書かれていましたが、試験を受けなければ、その子が当日の都立入試で取った英語の点数から「この子は80点獲得してるから、ESAT-Jに換算したらAだな」なとどなってしまう不公平。
これはTOEICで高得点取る方が必ずしも話せる訳ではないのに、ESAT-Jは完全無視で無試験者の評価をしてしまうって最低の対応なのです。
そして英会話って、間違えてもいかに頑張って話してコミュニケーションを取ろうって姿勢が大事なのに、ちょっとした間違いに何気に厳しいんですよ。
逆に英会話が嫌いになる子が増えそうです。
まだまだ書きたい事はありますが、止まらないのでここで終わりにします。
とはいえ、娘と昨年の本格導入だった子達は対策は少なかったですが、今は中1から対策授業が組み込まれたようですよ。
英会話講師視点でのESAT-Jへのブログの続きを楽しみしております。
失礼いたしました。
Izumiさん、こんにちは!
そうですか!今まさにIzumiさんの娘さんがこの渦中にいる状態なんですね!
当事者からしたら、不公平感極まりないのが、廃止を願う理由になっているんですね。
確かに、自分の回答が海外に送られて、採点者によって差がつくかもしれない状況は、不安がふくらみます。
「無試験者のスピーキング力のジャッジを、他のテストの点数を元にして評価を勝手に決める」というのは、英語を話せない人の発想ですよね。
テスト環境もさることながら、発想やルール作りの時点でそうなってしまっているとは・・・
このテストのルールを決める立場の人たちが、英語スピーキングの勉強をした経験がないのかもしれませんね。
「間違えてもいかに頑張って話してコミュニケーションを取ろうって姿勢が大事」
というIzumiさんの言葉は、まさにその通りだと思います。
そう考えると、英検の面接で全体の点数に反映される「Atitude=ガンバってコミュニケーションを取ろうとする姿勢」は、理に適っているんだと改めて思いました。
英検協会が動いて欲しいですよね〜
そして、ゼロからテコ入れして欲しいです。