【日本で英語を使う機会はない?!:アベマTVを見て思ったこと⑥最終回】

from 師範代Shinya

(→前回のつづき)(→この記事のシリーズを1話目から読む

※アベマTVの討論番組で、英語学習についての賛否両論を見て、僕が思ったことのシェアの続きです。

前回の記事では、今後どんなにAIが進化したとしても、それだけで英語学習が不要になる日は来ないと僕が思う理由をお伝えしました。

僕はガジェット好きなので、ポケトーク、電子辞書、カメラ、マイク、タブレット、パソコン、調理家電など、色んなジャンルのマシンを日常的に使っています。

その中で感じるのは、やはり「機械は常に壊れるリスクがある」ということです。

長年使い続ければ、自然故障する確率も上がります。

機能も時代遅れになっていきます。

 

スキルは一生モノ

でも、努力して自分自身の英語力を高めた場合、それは一生モノのスキルになります。

自分が生きている限り、いつでもどこでも、すぐに引き出して使うことができるのです。

自分の身ひとつあれば、いつでもどこでも引き出せるスキル。

それを身に付けた時の安心感は、計り知れません。

もちろん、一度英語を身に付けても、その後に長い間、英語学習を離れていれば、忘れてしまう部分もあるでしょう。

それでも、英語力がゼロになることはありません。

一定レベルまで行った経験があれば、一度落ちても、また同じ水準に戻すのは比較的ラクにできます。

しかも、学習を続ければ、どんどんアップデートしてレベルアップしていくことができます。

スキルは一生モノなのです。

そもそも日本人に英語が必要なのか?

とはいえ、

「そこまでガンバって身に付けた英語スキルを、どこで使うの?」

という論点もあるでしょう。

英語学習者を長年やっていると、このセリフを一度は耳にしたり、直接言われた経験があると思います。

今回のアベマTV番組内でも、「そもそも英語を使うシーンてなくない?」という議論がありました。

「そんなにガンバってスキルを身に付けても、使わなければ意味がないじゃん!だったら他のスキルの習得に費やした方がいいんじゃない?」

という意見です。

これに関しては、僕の意見は賛成でもあり、反対でもあります。

つまり、自分がどういう生き方を望むか?によって賛成と反対は変わるのです。

この2つの視点で見てみましょう。

↓↓↓

1つ目は、自分の生活環境。

2つ目は、趣味性。

1つずつ解説します。

①自分の生活環境

僕らが話す日本語は、日本から一歩外へ出たら、通じる国はほとんどありません。

もしあなたが一度でも海外旅行を経験したことがあるなら、きっと体感したことがあると思います。

言葉が通じないと、めちゃくちゃ不便です。

色んな部分で妥協しなければなりません。

レストランで「コーヒーを注文したのに紅茶が出てきた」場合、それを言葉で伝えることができなければ、ガマンして紅茶を飲むしかありません。

日本から一歩外へ出た瞬間、とたんに僕らは「赤ちゃんレベルのコミュニケーション」しか取れない状況になります。

そして、世界の共通語は英語です。

もちろん、英語が通じない国もあるでしょう。

それでも、日本語が通じる確率と、英語が通じる確率では、比べものにならないぐらい英語の方が高いです。

言葉が通じない不便さと不安を一度でも経験したら、「英語は必要ない」とは言えなくなるのではないかと思います。

英語ができなくても困らない生活というのは、日本という特殊な島国の中でしか通用しない環境なのです。

もちろん、「英語を使う仕事に就くつもりもないし、海外旅行もそんなに頻繁に行かないし」という方もいるでしょう。

リタイア後も日本に住み続ける確率は100%で、自分が生きている間は日本がグローバル化する確率はゼロ%だ!

と確信しているなら、英語を使う機会も限りなくゼロに近いかもしれません。

自分自身が今後どういう生き方をするか?どんな可能性を考えているか?によって、英語を使う確率は変動します。

②趣味性

2つ目は、趣味性です。

英語学習は、趣味のひとつです。

習字とか、お菓子作りとか、空手教室などと同じジャンルです。

でも、なぜか英語学習だけは、

「身に付けたら、仕事に活かさなければならない」

「投資元は回収しなければならない」

「日常で使う機会がないなら、学ぶ意味がない」

というような批判の対象になってしまいます。

他の趣味では、絶対にそんなこと言われません。

自分が楽しみでやっている趣味を人に話したら、

「え?お菓子作りやってるの?お菓子なんて、食べなくても生きていけるんだし、どうしても食べたくなったらお菓子屋さんで買えばいいじゃん。お菓子作りを学ぶなんて、ムダだよ。」

なんて言ってくる人はいないでしょう。

「習字なんてやっても、今の時代、筆で文字を書く機会なんてないだろう?それとも、仕事になるレベルまで極めてるの?師範になって自分の教室を開くなら、まだいいけど・・・そこまで極めるつもりあるの?」

なんてハッパをかけてくる人もいません。

「え?空手やってるの?護身術なんて習っても、銃で撃たれたり、ナイフで刺されたら一発アウトでしょ?ムダな努力だよ。」

なんてことを言われる人も、ほとんどいないでしょう。

もし万が一、そんなこと言われたとしたら、

「楽しみでやってるんだから、放っといてくれ!」

と言いたくなるでしょう。

でも、なぜか英語学習のジャンルだけは、こういうことを言われるのです。

「日常生活で使う機会がないのに、学ぶ価値あるの?」

「本当にペラペラになれるの?」

「仕事で使わないなら、意味ないじゃん!」

みたいに。

もし人間が「今の自分の生活に必要なことしかやっちゃダメ」と言われたら、すごく窮屈で退屈な生活を送ることになるでしょう。

それに、一見必要ないことが、後の人生で役に立つことは、よくあります。

英語があなたの人生に役立つかどうかなんて、あなた自身にも分かりません。

まして、他の人にあれこれ言われる筋合いはありません。

さらに、もし一生英語を使わなかったとしても、英語学習を楽しんで、その時間が充実していたなら、「やって良かった」と思えるのではないでしょうか?

以上、数回に渡って、アベマTVの番組で議論していたテーマ「英語学習はコスパが悪い?」「英語は日本人に必要なの?」について、僕も自分の意見を書いてみました。

あなたはこのテーマに関して、どう感じたでしょうか?

良かったらコメント欄に記入してみてください。

たまにはこんな風に、自分が今やっている英語学習についてちょっと離れた視点から考えをまとめてみるのも、モチベーションアップに役立つかもしれませんね。

(完)(→この記事のシリーズを1話目から読む

 

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From  師範代Shinya(新村真也)

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2件のコメント

英語は何故、他の趣味の様な受け止め方されないのか?同意見です。英語を勉強していると言うと、ペラペラになってるの?お金掛けて無駄なじゃない。との辛い言葉に落ち込んだ事も。
実はわたしは、書道も10年ほど習っています。コチラは、師範も見えてくる段位まできました。嬉しいはずなのに。つぎは、資格持っても活かせない人多いよね。と言われ。私は無駄な投資ばかりしてるのかな?と。またまた、落ち込みました。
以前の落ち込みの時も、今回も、Shinya さんの言葉に救われました。
毎日ブログの配信が楽しみです。
先生になるとか、仕事につくとか、出来ないとしても、続けて得た物はありますよね。
そう信じてどちらも続けます。

Setsukoさん

書道も習っているんですね!
10年も続いて、しかも師範も見えてくる段位なんて、スゴいです!!

損得だけで習い事を決めていたら、きっと10年も続かないと思います。

おそらく、職人と呼ばれる人たちは、お金になるか?ならないか?の損得勘定ではなく、自分が好きで打ち込めるジャンルに出会えた結果、スキルを極めた人たちだと思います。

続けることで得られるものは、自分にしか見えない幸せだと思います。

それを周りの人たちに証明する必要はないのかもしれませんね。

ブログ記事がお役に立てて嬉しいです!

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