【最終回:2つの未来予測:グーグル翻訳アプリは英語学習を不要にするのか?】

 
From  師範代Shinya(新村真也)
 
気になる翻訳アプリ、「グーグル翻訳」を、これまで3回に渡ってレビューしてきました。
 
今日は最後のまとめとして、今後の進化の可能性も含めて、
 
 
「翻訳アプリが英語学習を不要にするのか?」
 
 
僕のファイナルアンサーをお伝えします。
 
 
 
※今回のブログ記事では、動画でお伝えしきれなかった部分もすべてお伝えしているので、すでに動画をご覧になった後も、ぜひ読んでみてください。
↓↓↓
  

未来予測:2つのシナリオ

今後、この翻訳アプリの未来には、2つのシナリオが考えられます。
 
 

未来予測①:翻訳アプリがそれほど普及しないパターン

1つ目のシナリオは、翻訳アプリが思ったほど普及していかないパターンです。
 
その理由になる要素は、アプリの機能面ではありません。機能で言えば、もうかなりのレベルまで来ています。
 
こんなに短期間でここまで進化したのだから、きっとあと10年後には、もっともっと正確さとスピードを増して、素速く洗練された文章に翻訳できるようになるでしょう。
 
そうなれば、今回のレビューの中で僕が感じた欠点は、すべて消えてなくなる可能性があります。
 
それを計算に入れた上で、翻訳アプリが思ったほど普及しないパターンです。その理由は2つあります。
 
 
 

人間同士のコミュニケーションが必要な2つの要素

アイコンタクト

人間は、コミュニケーションを取るときに、必ず相手の目を見て話します。
 
どんなにメールや電話の技術が発達しても、「相手の顔を見て話したい」という欲求は、なくなることはありません。
 
相手の目が見えることは、安心感につながります。相手が初対面だったり、外国人だった場合は、なおさらでしょう。
 
「相手の目を見て話したい」という人間の根源的な欲求を満たすために、スカイプやLINEのビデオ通話が生まれました。
 
たとえ今後、翻訳アプリの機能が「同時通訳レベルのスピード」になったとしても、やっぱりお互いにスマホを通して話す以上、どうしても目線は何度もスマホを見てしまうと思います。
 
そこに感じる「違和感」を人々が受け入れられなかった場合、みんなが積極的に「翻訳アプリを使って話したい!」とは思わないかもしれません。
 
 
 

声のやりとり

相手の目を見るのと同じように、「相手の声を聞くこと」で安心度がアップすることは、よくあります。
 
しゃべり方には、その人の性格や心の状態がよく出ます。
 
「ありがとう」というたった一言のフレーズにも、声のトーンやイントネーションで、感謝だけでなく、悲しみや怒りまで感じ取ることができます。
 
英語の「Excuse me.」も、普通に言えば「すみません」ですが、言い方を変えれば、「なんだってー!!」という怒りの表現になることもあります。
 
言葉と声のトーンは、常に一体なのです。
 
翻訳アプリの変換スピードがどんなに発達しても、スマホから出る「音声」自体は、本人の声とは別物です。
 
目の前に相手がいてしゃべっていても、その人の声では何を言っているのか分からない。
 
自分が理解できるのは、スマホから流れる機械的な音声の方だけ・・・
 
こういう状態で長く会話を続けたとしても、満足度は低いかもしれません。
 
相手がしゃべることを、相手の声のままでリアルタイムで理解したときに、人は「つながり」を感じるのではないでしょうか?
 
翻訳アプリを何度か使った人の心の中には、
 
「自分の言葉を、機械を通さず直接相手の心に届けたい!」
 
という欲求が生まれてくるような気がします。
 
その欲求を叶えるには、
 
1.自分が相手の国の言葉を勉強する
2.相手が自分の国の言葉を勉強する
3.お互いが共通で話せる言葉を勉強する
 
の3択しかありません。
 
そうなると、国際共通語としての英語の価値は今と変わらずあり続けるでしょう。
 
以上が、シナリオ①翻訳アプリが普及しないパターンの未来予測です。
 
 
 

未来予測②:翻訳アプリが世界で爆発的に普及する

2つ目のシナリオは、翻訳アプリが飛躍的な進化を遂げて、人々も違和感なくそれを受け入れて、使いこなすパターンです。
 
そうなった場合の世界を想像してみましょう。
 
 

会話

人々は、仕事でもプライベートでも、みんなグーグル翻訳アプリを使って会話しています。
 
同時通訳レベルのスピードでアプリが自動翻訳しながらしゃべってくれるので、お互いに母国語をしゃべっているだけで、ふつうにリアルタイムでコミュニケーションが取れます。
 
スカイプにも同時翻訳機能が付いていて、お互いが母国語をしゃべれば、勝手に翻訳されて言葉が相手に届きます。
 
今や、翻訳アプリを使わないで話すのは、母国語が同じ人たち同士だけです。
 
 

文書

ビジネスメールでも、今や世界中の人たちが翻訳アプリを使っています。
 
どんな長文も自然な表現に置き換えられて、すらすら読める文章になっています。
 
ビジネス上のやりとりで、言葉のカベが障害になることは、もうありません。
 
世界中の人たちが翻訳アプリを使いながら、仕事でもプライベートでもスムーズな情報伝達をしています。
 
 
もし・・・そんな世界が「常識」になったら、日本人にとって英語学習は必要なくなるでしょうか?
 
がんばって英語を勉強している人が、上司から、
 
「翻訳アプリがあるのに、なんで今さら英語なんて勉強してるの?ムダじゃない?そんなことより、もっと仕事につながる勉強をしなさい。」
 
なんて言われる日が来るのでしょうか?
 
 
僕は、逆だと思います。
 
もし、そんな時代になったら、逆に英語ができる人の価値がアップすると思います。
 
なぜでしょうか?
 
 
 

未来に英語ができる人の価値

仮に、さっきの世界が現実化したとしましょう。世界中の人々が、当たり前のように翻訳アプリを使う日常を生きています。
 
 

会話

世の中のほとんどの人たちが翻訳アプリでコミュニケーションを取る時代に、「あえてアプリを介さずに直接世界中の人たちとコミュニケーションを取る能力を磨いている人」は、希少な存在になります。
 
自分の声を使って、自分の言葉で相手に自分の意志を伝えられる人は、「めずらしい人」、「少数派」であり、「クール」な存在になるでしょう。
 
 
 

文書

みんなが翻訳アプリでメールをするようになれば、みんな同じような文章を書く人が増えます。
 
みんなが同じ翻訳ソフトを介した文章をやりとりすれば、世の中に似通った表現が増えるのは当たり前です。
 
「文体」には、「個性」が現れます。
 
誤字脱字や口癖も含めて、その人の個性になります。
 
でも、翻訳アプリという「フィルター」を通すことで、その間違いが正しく変換されて、「誰にでも読みやすい、無難な文章」ができあがります。
 
たしかに、文法的にも間違いは無い完璧な文章です。
 
でも、間違いをなくす努力を突き詰めていくと、必ず最後は「みんなと同じ」になります。すると、個性は消えます。
 
そんな個性のない文章が、世界中でやりとりされることになります。
 
最初は新しい翻訳アプリの機能を絶賛していた人々も、だんだん退屈しはじめます。
 
みんな、「外国人とのメールのやりとりすると、どの国の人たちも同じ文章送ってくるよなぁ」とつぶやいています。
 
あなたも海外からの個性のないメールを、仕事で毎日受け取っています。
 
 
ところが・・・
 
ある日、あなのメール受信箱に、アメリカからのメールが届いていました。
 
タイトルから、明らかに翻訳アプリのお決まりフレーズとは違います。
 
中を見てみると、ところどころ間違ってはいますが、ひとつひとつ言葉を選びながら書かれた日本語のメッセージです。
 
あなたと一度会って、商談がしたいと言ってきています。
 
気になりませんか?
 
他の同じようなことしか書いていないメールより、そっちの方が心に響きませんか?
 
翻訳アプリが普及した世の中では、母国語以外の言葉が話せる人は注目され、価値はグンと上がります。
 
世の中で成功する人たちに共通することは、いつの時代も「大衆がやっていないことをやった人たち」です。
 
 
 

いかがだったでしょうか?

これはあくまで、僕の個人的な想像の世界に過ぎません。でも、「まったく的外れ」とも言い切れないような気がしませんか?
 
でも実は、今お話したこと以上に、「外国語を話せる人」と、「母国語しか話せない人」には大きな違いがあります。
 
 
 

外国語を話せる人と、母国語しか話せない人の一番大きな違い

それは、「文化」です。
 
その国の言葉には、必ずその国の「文化」が絡んでいます。
 
たとえば、日本語の
 
「お疲れさまです。」
「よろしくお願いします。」
「お世話になります。」
 
といった言葉は、英語にはありません。
 
日本には、「謙遜」や「相手を敬う」といったことを美学にする文化があります。
 
その「日本文化の価値観」が、日本語のお決まりフレーズや文法の中に埋め込まれています。
 
 
 

文化&価値観の違いが会話にどう影響するか?

文化や価値観が違うと、同じシチュエーションでも、相手にかける言葉はまったく変わってきます。
 
たとえば、「明日大事なプレゼンを控えている同僚があなたの隣にいるとします。
 
緊張してソワソワしている同僚に向かって、日本語ではよく、
 
「がんばって!」
 
と言います。
 
でも、英語では
 
「Take it easy!(気楽に構えろ)」
 
と言います。
 
これって真逆ではないでしょうか?
 
日本語の「がんばれ」を文法的に見ると、「命令形」です。「100%の力を出せ」と命令している形を取ります。
 
これを英語に翻訳すれば、
 
「Do your best!」
 
です。(グーグル翻訳でも、Do your best.と変換されます)
 
でも、この表現は英語圏の文化の国ではあまり使われません。
 
これを英語圏の文化を持つ人に言ったら、
 
「分かっとるわい!おまえに言われなくても全力出すわい!」
 
と思われてしまいます。
 
英語圏の文化では、全力を出すかどうかは個人の自由で、他人からとやかく言われる筋合いはない、と考えます
 
それに「明日大事なプレゼンがある」という状況では、そもそも全力を出すのは当たり前です。
 
そこで同僚や友達など、第三者の役割は、「さらにハッパをかけること」ではなく、「リラックスさせてあげること」なのです。それが英語圏の国の文化の価値観です。
 
だから、かける言葉も「Take it easy.」になります。
 
「言葉を学ぶ」ことで、そういうことまで理解できるようになります。
 
でも、それを知らずに、単に翻訳アプリで変換した言葉を相手に送ったら・・・どうなるでしょうか?
 
たとえ、翻訳アプリが発達して「がんばれ」をちゃんと「Take it easy.」に変換したとしても、あなたがその意味を知らなければ・・・その後に続ける言葉は、だいぶ変わってくる気がしませんか?
 
 
 

あなたはどっちが好きですか?

言葉が文化と密接に絡んでいる以上、
 
 
① 翻訳アプリで変換しただけの文章を送ってくる人の話す&書く内容
 
② 時間とエネルギーをかけて相手の国の言葉を学んで、その国の文化まで理解している人の話す&書く内容
 
この2つが違ってくるのは当然です。
 
②の人の方が、相手に寄り添った内容の話ができるでしょう。
 
 
あなたは、①と②のどっちの人と長く付き合いたいと思いますか?
 
 
 
 

僕の体験談

僕はこれを、日本にいる英語圏のネイティブの人たちとの会話から学びました。
 
僕がこれまでに仲良くなったネイティブの友達には、大きく2つのタイプがいました。
 
・日本語を話せる人(勉強している人)
・日本語を話せない人(勉強もしていない人)
 
僕は基本的にネイティブの友達とは英語でコミュニケーションを取るので、どっちのタイプの人とも意志疎通はできます。
 
でも、この2つのタイプの人たちの間には、明らかな違いを感じました。
 
「日本語が話せるネイティブ」は、「日本語が話せないネイティブ」に比べて、会話の内容や言葉のチョイスが違うのです。お互い英語で話している時でも、そう感じます。
 
日本文化に寄り添った発言が多いと感じるのです。
 
話している言語は同じ「英語」でも、発言の「内容」は明らかに違います。それは、話しているうちに感じ取れるものです。
 
そして、やっぱり僕にとっても話しやすい人&親近感を覚える人は、日本語ができる方の人でした。
 
(細かい部分は、また別の機会にシェアしたいと思います)
 
この、「日本語ができないネイティブ」を言い換えれば、さっきの「翻訳アプリを使って会話してくる人」だと思います。
 
コミュニケーション自体には支障がなくても、やっぱり、
 
「一緒にビジネスをしたい」
「友達になりたい」
「また会いたい」
 
と思うのは、日本文化に理解のある人のような気がします。
 
 
以上の点を踏まえて、もう一度この質問について考えてみましょう。
 
翻訳アプリは、英語学習を不要にするのか?
 
僕の答えは「NO」です。
 
あなたは、どう思いますか?
 
 

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