From 師範代Shinya(新村真也)
(→前回のつづき)
※僕が20才の頃、「鉄工場の作業員」から、「アクション俳優」に転職しようと決めて、「アクション俳優養成所」に入ろうとした時のストーリーの続きです。
世界的アクションスターのショー・コスギさんが、ハリウッドに作る予定の「アクション俳優養成所」の説明会に参加した僕は、ショーさんのプレゼンにモーレツに心を惹かれ、夢が膨らみました。
最後の方で、一番気になる「お値段」を発表するパートになりました。
僕は学費を全額自分で工面しなければならないので、ここが一番のネックです。
大きなスライドいっぱいに、金額が映し出されました。
授業料2年間:250万円
寮の費用2年分:200万円
その他諸経費:50万円
トータル:500万円
ご、ごひゃくまんえん・・・
僕は絶句しました・・・
「トヨタのスープラが買える値段だ・・・」
当時20才の僕の頭の中は、「最も高い買い物=憧れのスポーツカー」という図式でした。
まさか、アクションを学ぶ費用がスポーツカーと同じ値段だとは・・・
(※注:細かい金額は忘れたので、これは覚えている範囲内のざっくりした金額です。)
アメリカで仕事はムリ?
でも、アメリカで仕事しながら生活すれば、年間250万円はなんとか捻出できるのでは?
と思いました。
でも、ショー・コスギさんがここで言いました。
「スクールでは、毎日みっちりアクションの授業をしますので、現地で働くのは時間的にも肉体的にもかなりキツいと思います。
決して安い金額ではありませんが、ぜひ、2年間だけはお子さんたちが学びに集中できる環境を提供してあげて欲しいのです。」
このプレゼンは明らかに、出資者である親世代をターゲットにしたメッセージでした。
実際、会場に集まっている人たちの半数以上が50代ぐらいの親世代でした。
アメリカン・サバイバル
僕はこの時ふと、昔読んだショー・コスギさんの「アメリカン・サバイバル」という本の内容を思い出しました。
この本は、ショー・コスギさんの自伝です。
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ショーさんが、無一文でアメリカに渡って、どうやってアクションスターになったのか?
その波瀾万丈の人生がリアルに描かれている本でした。
その本の中のストーリーに、こんなパートがありました。それは、
「日本の学校の授業では英語が得意だったから、自信まんまんでアメリカに行ったら、現地人たちの英語がぜんぜん聞き取れないし、こっちの発音も通じなくて、えらい苦労した」
という話です。
特に、仕事で苦労したと書いてありました。
最初の方は英語が必要なさそうな鉄工場で働いたそうですが、親方の話す英語の指示が聞き取れず、間違った作業をしてしまい、その場でクビになったとか・・・
とにかく、英語が話せないことで、その後もいくつも職場をクビになって、すごい苦労したと書いてありました。
僕はこれを読んだとき、まだ英語にはまったく興味がありませんでしたが、
「へぇ~!学校の英語とアメリカのリアル英語は、そんなに違うんだ。何がどう違うんだろう?」
と、好奇心を刺激されたのを思い出しました。
ショーさんは、そんな厳しい状況を切り抜けながら、最終的にチャンスをつかんでハリウッドスターになりました。
その本の内容を思い出した僕は、
「日本で鉄工場の職業経験があっても、アメリカでボスの指示が聞き取れなかったらすぐクビになるんだろうな・・・こりゃ現地で働いて学費を自分で稼ぐのはムリがあるな・・・」
と思いました。
ショー・コスギさんと握手
それでも、せっかく来たんだから、最後はショー・コスギさんと握手してパワーをもらおう!と決めました。
別に握手会などセッティングされていなかったので、プレゼン終了後に僕はショーさんの元にダッシュしていきました。
そして、
「今日はありがとうございました!とても楽しい時間でした!僕は夢をあきらめずに頑張ります!」
と言いながら、手を差し出しました。
ショーさんは、とても優しい笑顔で、
「頑張ってください!その心があれば、絶対叶いますよ!」
と言いながら、ガッチリ握手してくれました。ショーさんの手は、てっきりゴツゴツして固いかと思ったら、意外に柔らかくて、大きいので僕の手が包み込まれるような感覚でした。
満足した僕は、
「なんとか別の道を探そう!必ず今の自分に合ったアクション俳優養成所を見つけてみせる!」
と心に決めて、会場を後にしました。
・・・つづく。
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