From 師範代Shinya(新村真也)
先日の日経新聞の記事に、こんな記事が載っていました。
「話す」偏重の改革は危険
東大教授の斎藤兆史氏の意見が書かれているのですが、とても興味深かったので、ここでシェアします。
今、大学では「英語を話せる人材育成」のために、英語のみで行われる講義や、単位取得などの取り組みが広がっているそうです。
今後の国際化に備えて、こういった取り組みをさらに強化していこう!という流れがあるそうですが、これに対して斎藤氏は警鐘を鳴らしています。
斎藤氏が受け持っている「英語で学位が取れる学部コース」を教えていて感じたことを、こんな風に語っています。
↓↓↓
※以下抜粋
「全員ネイティブみたいな英語で授業ができるわけじゃないから、どうしても日本語よりも授業の質が落ちる。学生もこれまでと同様に理解しているかというと、そんなことはない」「中学や高校で、まずは英語を話せるようにするという計画ですね。とてもそんなことができるとは思えない。英語で英語を学ぶって、聞こえはいいけど、先生方がみな見事な英語を話し、生徒が全部、理解して、英語力が急に伸びるなんてことはあり得ないです。」「大学での学問の基礎は、きちんと読めて考えられるということです。とことが、中高で、思考力や学力の基礎となる文法や読み書きの力をつけてくれていない」「これまでは、われわれ大学の英語教師も、『中高では器用に話せなくてもいいので、とにかく基礎力をつけてほしい。あとは大学で伸ばす』そういう立場だったんです。それが崩れてしまった。」
※抜粋終わり
「コミュニケーション」と言えば聞こえがいいけど・・・
トップレベルの学生が集まる東大の教授でさえ、こんな風に感じているということは、「コミュニケーション重視」の英語教育が、いかに日本の学生全体の英語力を落としているか?を表しているような気がします。
よく、「英語はコミュニケーションツールなんだから、細かいことは考えずにガンガン使った方がいい」
なんて言われていますが、僕はこの「コミュニケーション力重視」には反対派です。
元英会話スクール講師の自分が言うのも何ですが、会話だけやって英語力を伸ばそうとすると、すぐに限界が来てしまいます。
これは、僕自身が最初の1年間はひたすら会話!会話!でやってきて、全然伸びなかった経験からも実感しています。会話だけしていても、英語力は上がりません。
斎藤氏は、続けます。
※以下、抜粋
↓↓↓
「日本では、文法・読解か、コミュニケーションかという二項対立にしてしまうけれど、実は語学力はひとつのものなんです。日本人は話せないということをすごく苦にしますよね。読み書き、文法の力の上に訓練をすれば、話せるようになるんだけど、最初から話せるようにできるはずだと考えてしまう」「日本人が英語が苦手な言語上の理由を十分に理解していない。苦手だからこそ、しかるべき手順で、努力すべきだという点を見失っているのです。その結果、ここさえ直せばという素人考えが幅をきかせてしまう。そうした傾向が年々、強まっているんです。」
※抜粋終わり
どんなに流ちょうに見えても・・・
僕も、文法学習なしで英語が流ちょうにしゃべれるようになった人に出会ったことがありません。
たまに、「文法は苦手だけど普通に話せますよ」という人に出会うことがあります。
確かに話すのを聞いているとものすごいスピードで話していますが、よく聞いているとメチャクチャな文法になっているのがすぐに分かります。
そういうタイプの人の話す英語を理解するのは、かなりしんどいです。ちょっと前にも、初対面のアメリカ人男性と日本人の実戦タイプの人と僕で、3人で話す機会がありました。
実戦タイプの人は終始、マシンガンスピードで話していました。スピードは速いのですが、語順がメチャクチャなので、僕はその人の話す英語をあまり理解できず、適当に相づちを打つしかありませんでした。
アメリカ人男性の方は、聞きながらうなずいて反応していたので、
「きっとネイティブなら多少ブロークン英語でも理解しているんだろうな・・・」
と思っていました。
ところが、そのアメリカ人男性と二人だけになった時、僕にこう言いました。
「彼の英語はほとんど聞き取れなかったんだけど、シンヤは分かった?ちょっと内容教えてくれない?」
わかってなかったんかい!!
僕は自分だけ会話についていけてないと思っていたのに、実はそうではありませんでした。
こういうケースは、よくあります。
会話だけが目的だとしても、やはり文法力は大事です。
今回の東大教授の記事を読んで、文法力の大切さを改めて実感しました。
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