from 師範代Shinya
(→前回の続き)
※僕が子どもの頃、弟と一緒にテレビで見て憧れたマジシャンの前田知洋さんとお会いできた体験談の続きです。
前田さんを目の前にして、僕はしばらく興奮し過ぎて自分を見失っていました。
でも10分ほど話すうちに、だんだん落ち着いてきました。
そして、僕は事前に用意していた質問を、前田さんにぶつけてみることにしました。
僕が聞いてみたかったことトップ2は、
①どうやって今の地位を獲得したのか?
②海外でマジックを演じるためにやった英語の勉強法
です。
僕がこの質問をしたかった理由は、前田さんの経歴にあります。
僕がこれまで見たテレビ番組の中で、前田さん自身が語っていた経歴を覚えている範囲でまとめると、
・子どもの頃から電化製品に興味があったので、高校~大学時代はエンジニアを目指して勉強していた。趣味でマジックも練習していた。
・大学在学中に、趣味を活かしてマジシャンのアルバイトを始めたら、収入がサラリーマンの月収を軽く超えてしまった。(当時の日本はバブル景気)
・大学教授に、「今の生活を続けていたら、金銭感覚が狂っておかしくなるぞ。アメリカに留学して、頭を冷やしてきなさい。」と言われ、ロサンゼルスに留学。
・ロサンゼルスに留学中はマジックから離れて学業に専念。でも、たまたまロサンゼルスに世界最高峰のマジシャンたちが所属する「マジックキャッスル」があったので、思い出作りにオーディションを受けてみた。
・そしたら、オーディションに合格してしまい、「日本人最年少のマジックキャッスル出演マジシャン」として、名前が刻まれてしまう。
・マジックキャッスルは、ハリウッドスターや超お金持ちのセレブ達が来る、会員制の高級クラブ。そこで前田さんは、英語でマジックを演じる経験を積む。
・エンジニアになるために、マジックを辞めるタイミングを探っていたら、日本から1本の電話がかかってくる。電話の主は、その後日本で最もゴージャスなレストランとして名を馳せることになる「Tycoon (タイクーン)」のオーナー。前田さんをタイクーンの専属マジシャンとして、年収2000万円の契約で雇いたいというオファーが来る。
・タイクーンでのマジックの仕事を受けるために、帰国。(ちなみに、Tycoon という英単語は、「実力者・大物」という意味。なんと日本語の「大君」に由来するらしい)
・タイクーンでの仕事を卒業後、独立して日本でマジシャンとして活動することを決意。
・当時、日本のバブル景気が弾けたことで、しばらくは仕事がなくなるが、そこから徐々に復活し、「セレブ御用達マジシャン」としての地位を築いていく。
・国内外の超お金持ちの人たちを相手に、プライベートパーティーでマジックを演じるマジシャンとして活動する。
・天皇・皇后、上皇后、三笠宮、高円宮にマジックを披露。
・日本のテレビ番組に次々と出演。芸能人とのつながりも増えていく。
・世界中のマジシャンが読む雑誌「Genii」の表紙を2回飾っている。
などなど、数え上げたらキリがないほどスゴい経歴を持っています。
前田さんが面白いのは、「最初からプロマジシャンを目指していたわけではない」ということです。
あるあるパターン
プロマジシャンへの道のりのあるあるパターンは、
・幼少期にマジックの魅力にとりつかれる
・家族にマジックを披露したら、ホメられる
・学校で先生や友達にマジックを披露したら、ウケける。
・文化祭などでマジックを披露したら、盛り上がる。
・大学でマジック同好会に所属する。
・マジックバーでのアルバイトを始めて、徐々にプロとしてお金をもらいながら活動する。
・マジシャンが腕を競う大会などに出場し、受賞して肩書きを増やしていく。
・たまに地元のテレビ番組の特集にチョロッと出演する。
・マジックバーで定期的にショーをしたり、イベントなどで全国を回り、ショーをしながら生計を立てる。
という感じです。
でも、前田さんはこれとはまったく違う道をたどっています。
最初からプロマジシャンを目指していなかったからこそ、他の日本人マジシャンとは違う視点を持てたのでは?と僕は思ったのです。
だからこそ、僕が前田さんに聞いてみたかったことトップ2は、
①どうやって今の地位を獲得したのか?
②海外でマジックを演じるためにやった英語の勉強法
でした。
・・・つづく。
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