from 師範代Shinya
(→前回の続き)
彼女が欲しくて、出会いを求めて入学した英会話スクール。
不純な動機にも関わらず、僕はしばらくして英会話スクール自体の楽しさにハマっていきました。
英会話スクールでは、下の名前で呼び合うのが普通です。
ネイティブの先生も、僕のことを「Shinya」と呼んできたし、日本人スタッフも「シンヤさん」と呼んできました。
これは、僕にとってすごく新鮮でした。
僕は高校の時から名字の「新村」でしか呼ばれてきませんでした。
さらに、当時最も多くの時間を過ごしていた職場のジーンズショップでは、名前どころか役職名の「店長」とスタッフに呼ばれる日々でした。
日本のビジネス文化では、「社長」「部長」など、「役職名を名前として使いながら呼び合う」傾向があります。
これは、欧米の国々にはない習慣です。
欧米では、社長も普通に名前で呼びます。
世界全体で見た場合、日本と韓国と中国だけが、役職名で呼び合う習慣があるそうです。
僕は、自分を役職名だけで呼ばれることが、あまり心地よく感じるタイプではありませんでした。
僕にとって、「Shinya」と呼ばれることが、心地よく感じたのです。
英会話スクールの空間だけは、自分が「一人の人間」として見てもらえているような気分でした。
彼女を作る目的で入学した英会話スクールでしたが、次第に欧米文化の心地よさにハマっていきました。
西洋かぶれになる
おそらく、英語を学び続けている人が一度は経験するような気がするのですが、「欧米文化最高!」みたいな気分になって、自分もその一部になりたくて、西洋かぶれの行動を取る時期があります。
僕は、割と早い段階で西洋かぶれになりました。
英会話スクールに入った年から、外国人バーに週3回通い、そこにいる外国人の常連客とハイタッチをしながら挨拶するのが、楽しいと感じていました。
当時はカンタンな自己紹介以外は全然英語を話せませんでした。
でも外国人バーにいると、「自分が欧米文化の一部になったような気分」になって、心地よかったのです。
毎晩、アメリカの有名ドラマ「フレンズ」を見るようになったのも、この頃です。
フレンズは、劇中に観客の笑い声が入っています。日本で言えば、昔あったドリフターズの「8時だよ全員集合」のような感じです。
フレンズの中で、アメリカ人の観客が笑っているタイミングで、ムリに合わせて笑ってみたり。(本当は自分にはオモシロさが分からないのに)
「日本のドラマは、海外ドラマの面白さには遠く及ばないぜ!」とつぶやいてみたり。
街中で見かけた「変な英語」や、「間違った使われ方をしているカタカナ英語」を見つけるたびに、「こんなんだから、日本人は英語を間違って覚えちゃうんだろうな!」と憤慨したり。
自分は日本文化から解放された、違う視点を持った人物になったような気分になっていたのです。
ものの味方が徐々に変わる
この時点での僕は、英語が話せないけど西洋文化に憧れる、西洋かぶれ野郎でした。
「西洋かぶれ」という言葉には、ネガティブなイメージがあります。
「西洋文化に過度に染まって、盲目的に崇拝し、自国の文化を軽視する」ようなニュアンスです。
実際、この時期の僕はそうでした。
でも僕は、英語学習者にはそういう時期は必要だと思っています。
なぜなら、それが英語学習モチベーションにつながるからです。
西洋への憧れは、とても強いエネルギーを生み出します。
「もっと深く知りたい!」「もっと西洋文化に溶け込みたい!」と感じるようになり、そのためには英語が話せる、聞けることが必須だと感じるようになるからです。
当時の僕は、日本の職場の文化の中に「堅苦しさ&息苦しさ」を感じていました。
そこから抜け出したい!という欲求が、西洋文化への憧れを生んだんだと思います。
英語が話せないうちは、「西洋かぶれ度数」が高く、英語学習を進めて英語力が上がるにつれて、ものの味方が徐々に変わっていきました。
それは、「かぶれ」とは少し違う感覚です。
本当の意味での英語を学ぶメリットを感じ始めたのが、この時期でした。
・・・つづく。
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From 師範代Shinya(新村真也)
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