【少年時代の「バック転ができるようになりたい夢」を31才になって叶えた話⑬】

From  師範代Shinya(新村真也)
 
(→前回のつづき)
 
※僕が子供の頃から夢見ていた「バック転ができるようになりたい!」という願望を叶えた時の体験談のつづきです。
 
 
体育館の木の床の上でのバック転が成功した僕は、すっかり自信がつきました。
 
 
これだけ堅い床の上でバック転できるなら、もうどこでもできるはずです。
 
 
すっかり気をよくした僕は、翌日からもマットなしで木の床の上でのバック転練習を何度か繰り返しました。
 
 
やればやるほど、
 
 
「床の固さと両手を床についた時の負担とは、関係ない」
 
 
と気付きました。
 
 
両手への負担は、「最初のジャンプの時の踏み切りの強さ」で決まります。
 
 
おっかなびっくり中途半端なジャンプをすると、十分な遠心力が生まれないので、床に手をついた瞬間に全体重が両手にのしかかってきます。
 
 
でも、思い切り踏み切ると、足がキレイに弧を描いてくれるので、遠心力のおかげでほとんど両手に負担はありません。
 
 
ということは、「踏み切りさえちゃんとできれば、床の素材は関係ない」ということが分かりました。
 
 

コンクリートの上でも挑戦!

そこで僕はついに外の「コンクリートの道の上」でのバック転に挑戦してみることにしました。
 
 
これができたら、もう完璧です。「1回だけのバック転」に限って言えば、「極めた」と言っても良いでしょう。
 
 
(体操教室で子供達が連続バック転をしている姿を見ているので、「バック転を極めた」とは口が裂けても言えませんが)
 
 
僕はドキドキしながら駐車場に出ました。
 
 
堅いアスファルトが太陽の光を浴びて、ギラギラ光っています。
 
 
さすがに恐いです。
 
 
もしここで失敗して頭を打ったりしたら、間違いなく病院送りになるでしょう。
 
 
こんな無謀なことに挑戦できるのは、無職の今しかありません。
 
 
恐怖に負けて最初の踏み切りが甘くなれば、勢いがなくなって危険度が増します。
 
 
僕は覚悟を決めて、思い切り後ろに跳びました。
 
 
目の前に一瞬青空が見えたと思った瞬間、両手にアスファルトの感触が伝わりました。
 
 
日光を浴びたアスファルトの熱が両手に伝わる前に、身体がフワッと浮いて、両足が着地しました。
 
 
できたーーーーーー!!
 
 
ついに!!外でバック転ができたぞーーー!!
 
 
僕は大きくガッツポーズをしました。
 
 

使う場所はない

僕はそれから、床の上とコンクリートの上で何度もバック転をして楽しみました。
 
 
ただ、最初から分かっていたことですが、バック転ができるようになっても、それを使う場所はありませんでした。
 
 
ダンスの振り付けの中で使おうと思えばできますが、当時の僕はもう、ダンスチームを組んでイベントに出るような活動はしていませんでした。
 
 
それに、ダンスにバック転を取り入れる人たちは、たいてい「ブレイクダンサー」なので、バック転だけではなくてもっと派手な回転系の大技を使う人がほとんどでした。
 
 
そんな事情があって、僕にとってバック転は、趣味のダンスにも取り入れづらく、日常生活でも使う機会がない、特に使い道のないスキルでした。
 
 
 

日常で役に立つかどうか?は関係ない

それでも僕の喜びは変わりませんでした。
 
 
少年時代から「できたらカッコいいなぁ~」と思って憧れていたバック転ができるようになった自分が、誇らしく感じました。
 
 
「仕事や日常生活で役立つかどうかに関係なく、自分がやりたいことをやる。できるようになりたいことを身につける」
 
 
というのは、人生の豊かさにつながる気がします。
 
 
まったく打算がない状態で、「自分の心の奥の声に従って自分の人生の時間を使うこと」が、幸せにつながる気がするのです。
 
 
そしてこれは、英語学習にも通じる部分があります。
 
 
英語学習を始めたばかりの頃に、周りの人達からこんなことを言われる経験をする人が多いです。
 
 
「おまえが英語をやってどうするの?どこで使うの?」
 
 
「専業主婦で仕事してないのに、英語なんてやったって意味ないじゃん?」
 
 
「その年で英語を始めて、何がしたいの?」
 
 
こういう言葉は、家族や同僚など、身近な人達から言われるケースが多いです。
 
 
英語学習をおそるおそる始めたばかりの頃には、こういうフレーズはとても鋭く突き刺さります。
 
 
「自分は人生の役に立たないことに時間やお金を使おうとしているんじゃないか?」
 
 
「今やっていることはムダになるんじゃないか?」
 
 
という罪悪感が出てきてしまうのです。
 
 

「カッコいい自分」になるためにやる

でも、「必要なこと」というのは言い換えると「他人のニーズを満たすため」にやることです。もちろん、それも立派なことです。
 
 
一方で、「必要ないこと」というのは言い換えると、誰からも何の指示も受けずに「自分の心を満たすため」にやることです。
 
 
「自分の心を満たす」ということは、それができた自分を自分で「カッコいい!」と思えることです。
 
 
自分で自分をカッコいい!と思えたら、周りからの承認は必要ありません。
 
 
「カッコいい自分になるために人生の時間を使っている人」
 
 
「周りの人から認めてもらえなくても、自分のやりたいことをやっている人」
 
 
は、輝いていると思います。
 
 
「役に立たないけど、自分のやりたいことに人生の時間を使った思い出」は、後になっても残っているものです。
 
 
僕がバック転の練習をしたのは、31才の時だけでした。
 
 
一度できるようになって、その姿をビデオに収めたら、とても満足しました。
 
 
あれから12年たった今でも、あの時の達成感や喜びの気持ちは、ハッキリと思い出せます。
 
 
これからもっと年を取って身体が動かなくなって寝たきりになった時にも、きっと「バック転をしていた自分の姿」を思い出すでしょう。
 
 
そして、「あの時挑戦しておいて良かった!」と思うような気がします。
 
 
「我が人生に一片の悔いなし!」と言いながら死んでいった、「北斗の拳」のラオウの姿が、僕の理想です。
 
もしあなたが今、「英語を身につけてもどこで使うんだろう?」と迷いながら進んでいるとしたら、ぜひ自信を持ってください。
 
 
・英語を使って社会の役に立った人生
 
 
・英語を身につけて満足したけど、特に使い道のなかった人生
 
 
どちらもきっと、悔いのない人生になるはずです。
 
 
そして英語は、バック転よりも使う機会が多く、人生に役立つシーンが多いことは間違いありません。
 
 
(完)
 
 
P.S.
 
最後に、僕が12年前に「バック転を体育館の床でできるようになった時」に録画した動画がこれです。
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2件のコメント

・英語を使って社会の役に立った人生

・英語を身につけて満足したけど、特に使い道のなかった人生

どちらもきっと、悔いのない人生になるはずです。
益々英語勉強したくなりました。英語マスターするぞ!笑

西山様

そうですね!
英語をバリバリ使って活躍している人もカッコいいですが、「ふだん英語を使わないのに、いざとなったらペラペラな人」もカッコいいと思います。
やりたいことをやって、悔いのない人生にしましょう!

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