From 師範代Shinya(新村真也)
(→前回のつづき)
※僕が20才の頃、「鉄工場の作業員」から、「アクション俳優」に転職しようと決めて、「アクション俳優養成所」に入ろうとした時のストーリーの続きです。
ジャパンアクションクラブ、倉田プロモーションのオーディションを受け、最後にショー・コスギさんのアクション俳優養成所の説明会に行って分かったことがありました。
それは、「どの道を選んだとしても、相当のお金がかかる」ということです。
社会人になって2年ちょっとの僕にとっては、初期費用はかなりの負担額でした。
もちろん、思いきって貯金をはたけば、入学金と引っ越し費用ぐらいは捻出できます。
でも、問題は「入った後の生活」でした。どのアクションクラブも、週に3~4日の練習参加が義務づけられていて、しかもフルタイムの仕事との両立がしづらい時間帯でした。
バイトで食いつなぐにしても、月謝が払えなくなりそうな予感がしました。
僕がそれまでに唯一経験したことのある習い事、「地元の空手道場」と比べて、アクション俳優養成所の費用はケタ違いでした。
お金が理由であきらめない
でも僕は、お金が理由であきらめるつもりはありませんでした。
空手と同じように、独学でも毎日時間を取って練習すれば、相当なスキルを身につけられるという自信がありました。
ジャパンアクションクラブのオーディションを受けたとき、これまで独学で練習してきたアクション技が使えることを実感できました。
そして何より、3つのアクションクラブを回る過程で、見えてきたことがありました。
それは、「演技力の大切さ」です。
「アクション俳優」と聞くと、どうしても「アクション」の方に目がいきがちですが、実は映画やドラマで一番必要とされるのは、「演技力=俳優力」の方だということが、だんだん分かってきました。
アクションは、あくまでスパイスのようなものです。
ジャッキー映画も僕が見ていて一番感動するのは、ジャッキーが歯を食いしばって顔を真っ赤にしながら、強敵に向かっていくシーンでした。
ひとりで香港に渡った日本人
そんな時、まるで引き寄せのように、NHKのドキュメタリー番組で、
「日本を飛び出して香港でアクションスターを志す若者に密着」
というタイトルを発見しました。僕はものすごく興味をひかれました。
さっそく録画して見たその番組は、当時はまだ20代なかばぐらいだった「谷垣健治さん」の生活に密着してインタビューしていく流れでした。
谷垣健治さんは、今では日本のアクション監督の第一人者として活躍しています。
「香港スタントマン協会」に所属する唯一の日本人です。
日本の映画やドラマのアクションシーンで、
「おっ!スゴい!これは香港アクション並のクオリティーだ!」
と感じる時には、エンディングをチェックすると、9割以上の確率で谷垣さんが指導しています。
特に僕が好きなのは、実写版の「るろうに剣心」です。
あの映画のアクションシーンは、めちゃくちゃカッコ良くて興奮しました。
谷垣さんの指導なしでは、あれだけのスピード感とリアリティーは出せなかったと思います。
今となっては日本アクション界の大物の谷垣さんですが、NHKに取材された当時は、まだ無名でした。
何のあてもなく海外へ飛び出す
その谷垣さんの番組は、VHSテープがすり切れるほど何度も見返したので、内容は今でもほとんど覚えています。
谷垣さんは、僕と同じようにジャッキーに憧れて、アクション俳優の道を志しました。
でも、日本ではそもそもアクション映画自体がそんなに作られていないし、素手だけのアクションとなれば、なおさら数は減ります。
そこで谷垣さんは、「日本でアクション俳優を目指すよりも、本場の香港に飛び込んだ方が早いのではないか?」と考えました。
そして、何の準備もしないまま、いきなり香港に飛びました。もちろん、中国語(広東語)は話せません。
でも谷垣さんは、その足でジャッキー映画の撮影所に行き、エキストラの1人として雇ってもらうように頼み込んだそうです。
あきらめない精神
でも、当然断られます。
谷垣さんはあきらめずに、翌日何事もなかったかのように撮影所に行き、エキストラに混じってどさくさに紛れて撮影に参加する、という荒技を繰り返します。
そのうちに、現場のスタント監督の目にとまり、「日本人のおもしろいやつがいる」ということになり、エキストラとして正式に雇ってもらいました。
さらに谷垣さんの情熱が現場で評価されて、香港スタントマン協会に所属させてもらえることになりました。
エキストラから、スタントマンに格上げされた谷垣さんは、身体を張って危険なスタントを繰り返すことで、どんどん注目されていきます。
アクションスターのドニー・イエンの吹き替え(本人の代わりに危険なシーンを演じること)をしたり、敵役として何度も登場したりと、色々な役をもらえるようになっていきます。
ちょうどその頃の谷垣さんをインタビューしたのが、この番組でした。
現地の言葉が話せないのに香港に渡ったのもスゴい度胸ですが、もうひとつ、谷垣さんの決断で僕が驚いたことがありました。
・・・つづく。
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