from 師範代Shinya
前回の記事では、僕が今自分のトレーニングに使っている英語の原書「The five Love Languages」の中に、聖書の引用や詩のような表現がたまに登場して、そこでつまずいてしまう・・・ということをお伝えしました。
聖書の原文をそのまま引用した英文の場合は、Google検索で引っかかることが多いです。
でも、聖書をベースにもじった表現や、オリジナルで書かれた詩のような表現は、そのままGoogleで検索してもヒットしません。
そんな時には、僕はまず、次のプロセスを踏みます。
↓↓↓
①とりあえず、そのまま音読をしてみる。
②音読を何度か繰り返す中で、急に構文が透けて見えたり、「あ!そういうことか!」と理解できることがある。
③それでもダメな場合は、ネイティブの先生に聞く。
という流れです。
②のステップで自分で分かっても、念のためネイティブの先生に確認することがあります。
ネイティブの先生は一発で分かることが多い
ネイティブの先生たちの多くは、聖書を読んだことがある人が多いです。
中には、僕の質問文を見て、聖書のどこから引用しているのか一発で分かる人もいます。
僕は驚いて、
「なんで一発で分かるの?聖書を暗記しているの?」
と聞くと、
「子供の頃から親や教会の牧師さんに聖書のストーリーを聞かされてたからね。」
と答える先生も多いです。
特に本に引用されたりもじられるような例文は、聖書の中でもみんな覚えてる有名な一節が多いそうです。
日本人にとっての「昔話」
ネイティブにとっての聖書のストーリーは、日本人にとっての「昔話」みたいなものなのかもしれません。
僕ら日本人は、
「おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に・・・」
という表現を聞くと、すぐに桃太郎を思い浮かべます。
でも、日本語を勉強しているネイティブが、
「おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に・・・」
という表現を聞いたら、きっとうろたえるでしょう。
「川で洗濯??どういうこと?」
と思うかも知れません。
しかも、昔話と分かっていたら、まだ「昔は洗濯機がなかったから、水のある場所の川で洗濯をしたのかな?」と予想がつきます。
でも、もし現代に書かれた日本語テキストの中に、引用やもじる形で、「川で洗濯~」という表現が出てきたら・・・
外国人の日本語学習者はすごい混乱するでしょう。
英語の文法や単語は、キリスト教とつながっている
英語の文法や単語は、キリスト教とつながっていることが多いです。
ネイティブが驚いた時に使う、「Oh, my god!」 という表現は、直訳すれば「おぉ!神よ!」です。
ここで言う「神」とは、キリストです。
キリスト教の文化は日本語に組み込まれていないので、僕ら日本人は驚いた時に「おぉ!神よ!」とは言いません。
一方で日本語には、「困った時の神頼み」といった表現はあります。
日本文化では、ピンチの時に頼る存在が神様なのかもしれません。
また、日本では全国の神社に色んな種類の神様がいる、多神教です。
このあたりの宗教文化の違いを知らないと、英語の本質はつかめないのです。
ネイティブの先生の価値
ネイティブの先生たちは聖書だけではなく、詩のような表現でもちゃんと理解できます。
日常会話の文法とは違うような表現が使われていても、一発で理解できるのです。
また、
・この表現が一般的かどうか?
・僕の今後の人生で会話相手から聞いたり、自分が使ったりする確率はどのぐらいありそうか?
・総合的に考えて、第2言語として覚える価値がある表現か?
などを質問しても、すぐに答えてもらえます。
これらの答えがすべて「NO」だった場合は、僕はその表現は捨てて、音読する時に飛ばすようにしています。
僕は最近、ネイティブの先生の価値を改めて見直しています。
自分でググッても調べようのないような疑問でも、ネイティブの先生に聞けばすぐ解決するのです。
もちろん、先生によっては文法的な解説が得意な人と苦手な人がいます。
僕はすでに文法解説が得意で先生を5人見付けてお気に入りに入れているので、この方法がいつでも使えます。
今の僕の音読用テキストを精読するためには、ネイティブの先生の存在は欠かせません。
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From 師範代Shinya(新村真也)
(やり直し英語達成道場 師範代)
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