From 師範代Shinya(新村真也)
(→前回のつづき)
カラー勉強仲間の女子大生Mさんと2回目のデートのチャンスをゲットした僕は、1回目の大失敗を取り戻すために、綿密な計画を練ることにしました。
女性経験値の低い自分がひとりでプランを練っても、うまくいかない・・・そう思った僕は、職場の先輩に助けを求めることにしました。
当時、僕が働いていたイトーヨーカドーの同じ服飾売り場の先輩で、僕より5才年上の男性社員Fさんに相談してみました。
Fさんはいつも柔らかい声と表情で話す先輩でした。
これまで2年一緒に働いてきて、人を批判したり悪口を言ったりしているところを見たことないので、とても信頼できる先輩でした。
F先輩は年上なのに僕のことを「おにーちゃん」と呼んでいました。
なぜかというと、僕の苗字が「新村(にいむら)」だからです。
「にい」の部分を切り取って、「にいちゃん」と呼び始めたのですが、途中から「お」を付けて、「おにーちゃん」と呼ぶようになりました。
僕にとってはむしろFさんのことを「兄貴」と呼びたい感じでしたが、先輩のFさんから「おにーちゃん」と呼ばれるのは、けっこう楽しくて気に入っていました。
Fさんのアドバイス
僕がFさんにMさんとのことを相談すると、予想通り親身になって話を聞いてくれました。
Fさん:「そうか!良かったね!2度目があって!」
僕:「はい、正直、1回目でもうダメかと思ったんですが、なぜか2回目のチャンスがもらえました。」
Fさん:「じゃあ、ここは1回目とはまったく違った作戦でいった方がいいかもしれない。おにーちゃんは1回目はカジュアルな雰囲気になりすぎた感じがするからね。じゃあ、今回は真逆に振って思い切り気合いを入れていくか!」
僕:「え?どういうことですか?」
Fさん:「いかにもデートスポットって感じの場所に連れて行ったら、きっとイメージを挽回できるよ!」
僕:「おぉ!そういうことですか!ぜひ!教えてください!」
Fさん:「今一番ホットなデートスポット。それは・・・お台場だ!」
僕:「お、お台場・・・」
今はどうか分かりませんが、当時はちょうどお台場がデートスポットとして若者の注目を浴びている時期でした。
特に僕らのような地方に住んでいる人たちのとっては、「デートでお台場に行ってきたぜ~!」というのが、かなりのステータスと見なされていました。
王道の「ディズニーデート」とほぼ同じぐらいのレベルに見なされていたのです。
ディズニーの場合は「付き合う前にデートで行くと失敗する」というジンクスがありました。
これは理に適っていて、
「付き合う前の、まだ親密さが足りない男女にとっては、『乗り物の順番待ちをしている時間』は沈黙が多くなり、気まずくなりやすい」
という心理学的な根拠があります。
一方でお台場は、ディズニーレベルで高いステータスを保ちながらも、乗り物待ちをする必要がないというメリットがありました。
まだ付き合う前の男女が行く場所としても、ハードルが低いとされていたのです。
どうやって行くか?
ここで大事になってくるのが、お台場に行く「手段」です。
静岡からだと、新幹線で東京まで行って、そこから電車で乗り継いでいくか、あるいは車でそのまま行く手段があります。
人気なのは、車で行く方です。
なぜなら、当時は今と違って「カーシェア」のような概念がなく、「男は自分の車を持ってこそ一人前」という風潮があったからです。
特に地方在住者は、車がなければ彼女をデートに連れて行くこともできません。通勤も車がないと超不便です。(それは今でも変わらないとは思いますが)
デートするためには、「彼女の家のそばまで車で行き、帰りも家の前まで送る」というのが大前提でした。
そして、彼女に良い印象を与えるために、男達は「いかにカッコいい車に乗るか?」を必死になって考えていました。
・シルビア
・ランサーエボリューション
・スカイライン
・スープラ
・ワン・エイティー
といった、バブリーな雰囲気のスポーツカーを乗り回して、彼女を助手席に乗せることが、当時の僕の周りの男達のステータスでした。
そのためには、収入に見合わない「バリバリローン」を組んだり、中古市場を探しまくって、新車では出が出ない車種を中古で買うことに全精力を注いでいました。
一方で僕は、自分の車を持っていませんでした。
これまで稼いだお金は、ほとんどすべて「習い事」に使っていました。
・東京の演技スクールの月謝&交通費
・カラーコーディネーター検定のスクール授業料&教材費
といった使い道でした。
今から急に車を用意することはできません。
そこで僕は、カッコ悪いけど「親の車を借りてドライブ」するプランを練りました。
・・・つづく。
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