20代後半でダンス発表会のMCをやる楽しさに目覚めたことで、僕は「自分がステージで踊る」ことから「ステージで踊る人を応援する」ことにシフトし始めました。
次の発表会からは、僕は自分は踊らずにMCの仕事のみに専念し始めました。
さらに、スクールに入ってきた初心者メンバーを相手に、基礎の動きを教えることを始めました。
普段のレッスンでは、先生は今いる生徒たちに合わせた内容で進めます。
新入生が入ってくるタイミングはバラバラで、毎回新入生に合わせた内容にすることはできないからです。
僕はこの頃から、「教える楽しさ」に気付き始めました。
自分の上達を見る楽しみから、人の上達を見る楽しみへ
これは英語でもダンスでも同じですが、初心者の頃ほど、練習の成果が出やすいものです。
中上級ぐらいになっていくと、同じ練習量をこなしていても、目に見える上達のペースはゆっくりしてきます。
時には、成長がまったく感じられず、止まっているように感じることすらあります。
スランプと呼ばれる状態です。
今思い返せば、僕がちょうどダンス発表会でMCを始めたり、新入生に基礎を教え始めた時期は、このスランプ時期と重なっていました。
新入生を教えると、目に見えて上達するのが分かります。
すると、自分が日々上達を感じて楽しかった頃の感覚を追体験できました。
それだけではありません。
僕から教わった新入生も、すごく喜んでくれました。
それを見て、僕はさらに嬉しくなる・・・という流れが起こりました。
まさに、喜びが倍増したのです!
身体の動きを言語化する
僕がこの頃に初心者にダンスを教えながら意識していたことは、
「身体の動きを、いかに分かりやすく言語化するか?」
でした。
とういうのも、ダンスの世界はけっこう「見て盗め」的な職人気質の雰囲気があったからです。
僕がそれまでに習ってきたプロダンサーの先生たちも、しゃべりは苦手な性格タイプの人が多い印象で、レッスン中にあまり口での説明はありませんでした。
たまに説明しても、
「足をこんな感じで動かして、次にこう。」
みたいに、ボヤッとした表現が多い印象でした。
僕は初心者の頃、その説明がほとんど理解できず、苦労しました。
でも周りのクラスメイトはちゃんと踊れていたので、「みんなこれで理解して踊れるのか!スゲー!」と思ったのを覚えています。
経験値を重ねる度に、だんだん見て盗むことができるようになりました。
でも、「もし自分が先生だったら、この動きをどう言語化して生徒に伝えるだろうか?」ということを、無意識に脳内でグルグル考えていました。
それが今、自分が教える側になって役立ち始めたのです。
「左足のウラをベタッと地面につけて。その時のつま先の角度は、45度ぐらい外に向ける。体重はまだ右足に残したまま、上半身は少し反らして。アゴは引いた方がカッコよく見えるよ。」
といった感じです。
もちろん、言語化したからといって、全員がまったく同じ動きができるわけではありません。
でも、少なくとも「見て盗め」的な教え方よりは、初心者に優しいスタイルだと思います。
とはいえ、僕は職人的な先生の教え方を否定するつもりはありません。
ある程度のスキルが積み重なった中上級者にとっては、口でごちゃごちゃ説明されるよりは、動きを見せてもらってマネしながら吸収する方が早いでしょう。
ただ僕は、一番挫折しやすい頃の初心者の時期に特化して、
「ボンヤリしたものを、分かりやすく説明する」
ことに集中しました。
それは僕にとって、「考えるな」と言われてもつい考えてしまうことでした。
自分がレッスンを受けている時にも、先生の動きを見ながら、「自分だったら、この動きはこう言語化して教えるかな」とつい想像してしまいました。
好きでついやってしまうこと
この言語化訓練は、将来、仕事に役立てようとか思っていたわけではありません。
ただ、好きでやっていました。
でもそれが、その後、英語を教える仕事をする時になって役立つことになります。
学校の授業では、
「これはルールだから暗記しなさい。いちいち、なぜ?とか考える必要はない。」
というスタイルで教わりがちな文法ルールを、「なぜ?」を深掘りしながら、ネイティブのイメージで言語化する教え方。
それが、僕のティーチングスタイルとしてバチッとハマッたのです。
おそらく、英語を学び始める前にダンスをやっていた頃から、僕は「ボヤッとしたものを言語化する訓練」を脳内でやっていたんだと思います。
これはずっと後になってから、作家の本田健さんのセミナーで教わったのですが、人には、
「やるなと言われてもついやってしまうこと。」
「自分は無意識で当たり前のようにやっているけど、実は他の人にはマネできないこと。」
があるそうです。
実はそれが、「才能」と呼ばれるものです。
才能は、一般的には「生まれつきの能力」と思われがちです。
でも実は才能というのは、
「好きだから日頃からつい繰り返してしまい、その結果、意識せずに訓練されたスキルが開花したもの」
だそうです。
つまり、本人も意識せずに、練習を繰り返してきた結果なのです。
この才能に気付かせるセミナーに参加してワークを繰り返したことで、僕は自分の才能が「言語化」にあると気付きました。
こうしてブログ記事を書いたり、YouTube動画をアップしたり、英語を教えたりするのも、実はダンスをやっていた頃の延長戦上にあるものなのです。
一見、全然関係ないようなジャンルも、1つにつながっています。
いえ、おそらく「自分の中にある才能」が、つなげているんだと思います。
同じダンスレッスンを受けていても、何を考えながら受けるか?先生の言葉をどう受け取るか?は人それぞれです。
その受け取り方に、才能が関係してくると思うのです。
「一見ムダに思えることに熱中した経験は、後から思いもよらない形でつながることがある。遠回りしたように見えることも、実は必要だったと後から気付く。」
僕はこの「習いごとシリーズ」の記事で伝えたかった真意は、ここにあります。
・・・つづく。(→この記事のシリーズを1話目から読む)
p.s.今回のブログは息抜き記事ですが、あなたに英語のお悩みがある場合はこちらの動画セミナー一覧が役に立つかもしれません。
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From 師範代Shinya(新村真也)
(やり直し英語達成道場 師範代)
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