【人の上達を見る楽しみ:ダンス編133】

 
From  師範代Shinya(新村真也)
 
 
※僕が20代の頃ダンススクールに通っていた頃の体験談の続きです。ダンス編は毎週日曜日に更新中。

 

20代後半でダンス発表会のMCをやる楽しさに目覚めたことで、僕は「自分がステージで踊る」ことから「ステージで踊る人を応援する」ことにシフトし始めました。

次の発表会からは、僕は自分は踊らずにMCの仕事のみに専念し始めました。

さらに、スクールに入ってきた初心者メンバーを相手に、基礎の動きを教えることを始めました。

普段のレッスンでは、先生は今いる生徒たちに合わせた内容で進めます。
新入生が入ってくるタイミングはバラバラで、毎回新入生に合わせた内容にすることはできないからです。

僕はこの頃から、「教える楽しさ」に気付き始めました。

自分の上達を見る楽しみから、人の上達を見る楽しみへ

これは英語でもダンスでも同じですが、初心者の頃ほど、練習の成果が出やすいものです。

中上級ぐらいになっていくと、同じ練習量をこなしていても、目に見える上達のペースはゆっくりしてきます。

時には、成長がまったく感じられず、止まっているように感じることすらあります。

スランプと呼ばれる状態です。

今思い返せば、僕がちょうどダンス発表会でMCを始めたり、新入生に基礎を教え始めた時期は、このスランプ時期と重なっていました。

新入生を教えると、目に見えて上達するのが分かります。

すると、自分が日々上達を感じて楽しかった頃の感覚を追体験できました。

それだけではありません。

僕から教わった新入生も、すごく喜んでくれました。

それを見て、僕はさらに嬉しくなる・・・という流れが起こりました。

まさに、喜びが倍増したのです!

身体の動きを言語化する

僕がこの頃に初心者にダンスを教えながら意識していたことは、

「身体の動きを、いかに分かりやすく言語化するか?」

でした。

とういうのも、ダンスの世界はけっこう「見て盗め」的な職人気質の雰囲気があったからです。

僕がそれまでに習ってきたプロダンサーの先生たちも、しゃべりは苦手な性格タイプの人が多い印象で、レッスン中にあまり口での説明はありませんでした。

たまに説明しても、

「足をこんな感じで動かして、次にこう。」

みたいに、ボヤッとした表現が多い印象でした。

僕は初心者の頃、その説明がほとんど理解できず、苦労しました。

でも周りのクラスメイトはちゃんと踊れていたので、「みんなこれで理解して踊れるのか!スゲー!」と思ったのを覚えています。

経験値を重ねる度に、だんだん見て盗むことができるようになりました。
でも、「もし自分が先生だったら、この動きをどう言語化して生徒に伝えるだろうか?」ということを、無意識に脳内でグルグル考えていました。

それが今、自分が教える側になって役立ち始めたのです。

「左足のウラをベタッと地面につけて。その時のつま先の角度は、45度ぐらい外に向ける。体重はまだ右足に残したまま、上半身は少し反らして。アゴは引いた方がカッコよく見えるよ。」

といった感じです。

もちろん、言語化したからといって、全員がまったく同じ動きができるわけではありません。

でも、少なくとも「見て盗め」的な教え方よりは、初心者に優しいスタイルだと思います。

とはいえ、僕は職人的な先生の教え方を否定するつもりはありません。

ある程度のスキルが積み重なった中上級者にとっては、口でごちゃごちゃ説明されるよりは、動きを見せてもらってマネしながら吸収する方が早いでしょう。

ただ僕は、一番挫折しやすい頃の初心者の時期に特化して、

「ボンヤリしたものを、分かりやすく説明する」

ことに集中しました。

それは僕にとって、「考えるな」と言われてもつい考えてしまうことでした。

自分がレッスンを受けている時にも、先生の動きを見ながら、「自分だったら、この動きはこう言語化して教えるかな」とつい想像してしまいました。

好きでついやってしまうこと

この言語化訓練は、将来、仕事に役立てようとか思っていたわけではありません。

ただ、好きでやっていました。

でもそれが、その後、英語を教える仕事をする時になって役立つことになります。

学校の授業では、

「これはルールだから暗記しなさい。いちいち、なぜ?とか考える必要はない。」

というスタイルで教わりがちな文法ルールを、「なぜ?」を深掘りしながら、ネイティブのイメージで言語化する教え方。

それが、僕のティーチングスタイルとしてバチッとハマッたのです。

おそらく、英語を学び始める前にダンスをやっていた頃から、僕は「ボヤッとしたものを言語化する訓練」を脳内でやっていたんだと思います。

これはずっと後になってから、作家の本田健さんのセミナーで教わったのですが、人には、

「やるなと言われてもついやってしまうこと。」

「自分は無意識で当たり前のようにやっているけど、実は他の人にはマネできないこと。」

があるそうです。

実はそれが、「才能」と呼ばれるものです。

才能は、一般的には「生まれつきの能力」と思われがちです。

でも実は才能というのは、

「好きだから日頃からつい繰り返してしまい、その結果、意識せずに訓練されたスキルが開花したもの」

だそうです。

つまり、本人も意識せずに、練習を繰り返してきた結果なのです。

この才能に気付かせるセミナーに参加してワークを繰り返したことで、僕は自分の才能が「言語化」にあると気付きました。

こうしてブログ記事を書いたり、YouTube動画をアップしたり、英語を教えたりするのも、実はダンスをやっていた頃の延長戦上にあるものなのです。

一見、全然関係ないようなジャンルも、1つにつながっています。

いえ、おそらく「自分の中にある才能」が、つなげているんだと思います。

同じダンスレッスンを受けていても、何を考えながら受けるか?先生の言葉をどう受け取るか?は人それぞれです。

その受け取り方に、才能が関係してくると思うのです。

「一見ムダに思えることに熱中した経験は、後から思いもよらない形でつながることがある。遠回りしたように見えることも、実は必要だったと後から気付く。」

僕はこの「習いごとシリーズ」の記事で伝えたかった真意は、ここにあります。

 

・・・つづく。(→この記事のシリーズを1話目から読む

 

p.s.今回のブログは息抜き記事ですが、あなたに英語のお悩みがある場合はこちらの動画セミナー一覧が役に立つかもしれません。

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