From 師範代Shinya(新村真也)
(→前回のつづき)
※僕がTOEICテストで満点を狙うのをやめて、「自由に英語を使いながら生きる」と決めた頃のストーリーの続きです。
「英語テストで結果を追い求めるのはもうやめて、英語を自由に使って生きよう!」と決めたことで、僕は精神的に自由になりました。
そして、この時期から、本当の意味で「英語を使うことの楽しさ」に目覚めました。
最初に感じた「英語を使う楽しさ」
実は過去にも一度、「英語を使うことの楽しさ」に目覚めた時期はありました。TOEIC730点を越えたあたりから、外国人の友達と深い話ができ始めるようになり、充実感を味わえました。
これが最初に「英語を使う楽しみ」に目覚めた時です。(それまでは、英語力が足りずに満足なコミュニケーションが取れませんでした)
でも、一度それを味わった後、僕は「より高い英語力」を追い求めるようになりました。
足りない部分にフォーカスしていた時期
その結果、「自分の中で足りない部分」「できない部分」にフォーカスしがちになりました。
できない部分にフォーカスしている限り、幸せな感覚は味わいにくくなります。
人生は、「できたこと」と「できなかったこと」の連続です。そのどこに目を向けるか?は1日の気分を左右します。
今まではずっと「もっと速く読めるようになろう!」とか、「もっと英単語を増やそう!」と思っていました。
でも、TOEICテストで満点を出すことをあきらめた結果、自分がこれまでに手に入れた英語力を「使う楽しみ」に目覚めたのです。
久しぶりの再会
快適に使っていくために、僕は久しぶりに外国人の集まるパブに顔を出しました。
実は、TOEIC満点を目指し始めた頃から、仕事以外の時間はTOEIC用の勉強をすることに時間を使っていたので、外国人の集まる場所に顔を出すことがほとんどなくなっていました。
でも、久々に顔を出すと、なつかしさがこみ上げてきました。そこには、僕の英語学習の先輩のダイスケさんもいました。
ダイスケさんは、僕がまだTOEIC300点台だった頃に、すでにTOEIC900点を持っていて、英検1級も合格していました。
僕にとっては「神のような英語力」を持った存在でした。ちなみにダイスケさんは、会話の中にひとりでも外国人がいる場合は、日本語は一切使ってきません。
そんなところもスゴいなと思っていました。
TOEIC975点を越えた後に感じた「英語を使う楽しさ」
この日は、ダイスケさんの隣にいる外国人2人と僕を合わせて4人でテーブルに座りました。当然、会話は英語オンリーになりました。
会話が始まりました。実は、僕は少し緊張していました。なぜなら、僕は今までダイスケさんとネイティブの話す会話内容についていけたことが一度もなかったからです。
でも、今回は違いました。ほとんど聞き取れるのです!!全部聞き取れて、話について行けました。
そういえば、僕も今は英検1級を取って、ダイスケさんとほぼ互角の英語力を手に入れているはずだ!分かるのは当たり前か!ということに気付きました。
ダイスケさんとネイティブたちの会話に自分がついていけたことは、僕の中で大きな自信になりました。
それに何より、会話の内容を心から楽しめました。
中級レベルと上級レベルの違い
僕がよくこのパブに通っていた頃の英語力は、TOEIC730点前後の中級レベルでした。
この頃もそれなりに会話ができていましたが、まだ自分の脳内が「英語そのもの」にフォーカスしている部分がありました。
(どの文型を使おうか?)
(あれ?あの英単語は何だっけ?)
といった考えがグルグルしている感じです。例えると、エンジンをレッドゾーンぎりぎりで回しながら会話をしている感じでした。
でも、今こうして上級レベルになってからネイティブとのトークに入ると、あの頃とはまったく違った感覚になりました。
タコメーターはほとんど回らない状態でも、同じ速度で走れるのです。
そして、会話の最中は英語自体に気持ちが向かないので、相手の話すメッセージのみに集中できます。
自分が話すときもそうです。伝えるメッセージだけに集中すると、自分が今、日本語でしゃべっているのか?英語でしゃべっているのか?の境界線があいまいになってきます。
よく、帰国子女の人がそんな状態になる、という話は聞いたことがありましたが、まさか純日本育ちの自分がそんな状態を経験することになるとは思っていませんでした!
僕はこの時、改めて自分が今、手にしているものの多さを感じました。
・・・つづく。
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