from 師範代Shinya
(→前回のつづき)
※最近、話題になっている人気本「人生の経営戦略LIFE」の内容と、英語学習とのつながりを僕が感じた部分のお話の続きです。
この本の最初の方で書かれている内容に、僕はすごくしっくり来るものを感じました。
それが、「今、私たちはつなぎ目の時代に生きている」という言葉です。
つなぎ目の時代とは、古い制度や規範がもはや有効ではないと分かっているのに、どのような精度や規範が有効なのかはハッキリしない「宙ぶらりん」の状態を指すそうです。
日本は戦後に急成長を遂げることで、先進国の仲間入りを果たしました。
でも今は、低成長の時代になりました。そして、「低成長は問題だ!何とかしなければ!」として、ニュースや討論番組などで何度も取り沙汰されています。
この状態だと、
①社会を再びかつてのような高成長社会に戻す
②ゼロ社会に合わせて社会や仕組みを再構築する
のどちらかでしか調整できません。
そして日本の制度や価値観は、今でも①の頃のままです。
企業も個人も「右肩上がりの成長が最も好ましい」とされていて、成長こそが、人生の目的!という感じになっています。
そして、過去の日本が高度経済成長していた時代を何度も振り返りながら、「あの頃に戻すためには、今何をすればいいか?」を常に考え続けるアプローチを取っているのです。
でも、現実的には日本が60年以上に渡って経済成長率が低トレンドな中、「アプローチは②しかないのでは?」と、この本の著者の山口さんは書かれています。
僕がジーンズショップの店長時代に感じていた違和感
僕はこの話を読んだ時に、自分が英語講師になる前の仕事だった「ジーンズショップの店長」時代に感じていた、違和感を思い出しました。
店長に与えられた使命は、「右肩上がりで自分の店の売上を伸ばし続けること」でした。
そのお店ができた当時は、田んぼの真ん中にぽつんと一件だけ、そのお店がある状態だったそうです。
競合もいなかったので、地元の人達がこぞって洋服を買いに来ました。
街全体も発展中で人口が増えていたので、毎年右肩上がりで売上が増えていったそうです。
でも、僕が店長になった時には、すでに街の開発が極限まで進んでいて、田んぼなんて1つもありませんでした。
ユニクロやライトオンなどの競合店舗が次々と良い立地に出店し、人々の選択肢は無限になっていました。
街の人口増加は頭打ちになり、むしろ駅前の商店街などは衰退の方向に向かっている時期でした。
それでも、以前と同じ右肩上がりの成長を課せられていたのです。
権限はないけど、責任だけある
僕が働いていた会社では、店長のポジションは「プレイングマネージャー」でした。
店長自ら接客し、レジ打ちをし、ジーンズの裾上げをする。
それらの日常業務をやりつつ、スタッフを教育して、自分が休みの日でもお店がパートとアルバイトの方々だけで回る仕組みを作る。
という感じです。
店長は、お店の現場で一番仕事がデキる存在。
店長に与えられた権限は、求人を出して面接し、入ってきたスタッフや自分の勤務シフトを決めること。
それ以外の権限はありませんでした。(今はどうか分かりませんが)
お店の売上に最も強く関係している、
・どんな商品を、どのぐらいの数仕入れるか?
・どんなチラシを、どんなタイミングでどのエリアにばらまくか?
・どの商品を、どの価格まで値下げするか?
といったマーケティング業務は、すべて本部が一括でデータ管理していて、自動的に決められていました。
入荷した商品がすぐ売り切れになって、
「この品番を追加でもっと入れて欲しいです」
と本部に連絡しても、
「それは全国で売れているから、どこにも在庫はありません」
と言われるだけでした。
店長の僕にできることは、「お店を回すための人員を育てること」だけだったのです。
これでは、店長にとっての売上は、完全に「運任せ」です。
一方で、毎月課せられる「売り上げ金額目標」が達成できないと、店長会議でものすごい責められました。
まさに、「権限はないけど、責任だけはある」という、理不尽な状態でした。
右肩上がりが前提
毎月の売上目標がどんな基準で決められているかというと、去年の同月売り上げ金額をベースに、10%~20%上げた金額です。
つまり、今年の売り上げが良すぎると、翌年の同月に苦しくなる、という構図なのです。
これは、日本の社会全体がまだ発展途上で、上向き成長していた時代にはうまくいったシステムだと思います。
実際に、僕の働いていたお店も、「田んぼが続くエリアの中にある、たった一件の洋服屋さんポジション」から始まったわけですから。
でも、今はすでに、ユニクロや他のジーンズショップが乱立する競争エリアになっています。
日本のGDPは頭打ち状態で、服も有り余っている時代です。
日々の業務をこなし続けるだけでは、自然に売上を上げることはできません。
そんな中、たまたま僕のお店の売上が前年を大きく上回った年がありました。
何か特別なことをした覚えはないので、本当に偶然だと思います。
でもその後、僕は自分の身に何が起こるか?だけは、正確に予想できました。
その予想通り、僕は自分の店が絶好調だった年には会議でホメちぎられて表彰されました。
そして、「成長店舗の店長代表」として、スピーチする機会まで与えられたのです。僕はこの時、とても複雑な気分でスピーチをしました。
翌年のしんどい自分の姿が、目に見えていたからです。
案の定、その翌年には一気に売上が落ちて(というか元の基準に戻って)データ上では「大幅は前年度割れ」をし続けました。
そして、その年の会議では「低成長店舗の店長」として、毎月叩かれ続けました。
わずか2年で、ヒーローから悪役に転落するという、両極端な立場を味わったのです。
僕はこの時を境に、
「右肩上がりを前提にしたシステムって、そもそもムリがあるのでは?」
「もし右肩上がりをしたいなら、もう少し店長に権限を与えてくれないとムリだわ」
と思い始めました。
そして、自分個人としては、もう売上目標について一切考えないことにしたのです。
ホメられるのも、怒られるのも、同じ。
他人からの評価はコントロールできない。
期待も心配もしない。
すべては、運命。
流れに身を任せることが、唯一自分ができること。
そんな姿勢を身につけていきました。(この極端な姿勢が良いのか分かりませんが)
当時の僕は、それまでまったく興味がなかった仏教をベースにした教えの本を読むようになりました。
その中で、「あきらめる」という言葉の語源や真の意味を知りました。
「あきらめる」とは、「あきらしめる」の略で、世の法則を明らかにする、というような意味合いがあったそうです。
人生の流れに身を任せ、もがくことなく、ふて腐れるわけでもなく、ありのままを受け止めて、今あるものに感謝する。
そんな仏教の教えを日々の生活の中で意識することに、情熱を注いでいました。
これがけっこうハマッたので、加えて西洋の心理学の本を読み始めました。
モチベーションや心の平安を得るための心理学は、日本の仏教と通じる部分があって、とても面白いと感じました。
実はこの時期と、僕がやり直し英語学習を始めた時期は重なります。
やり直し英語学習は、なかなか思い通りに上達しないこともありましたが、その都度、仏教の教えや心理学メソッドで自分の心を整えて、乗り越えてきました。
その後、英会話スクールの講師に転職したのですが、こんどは売上とは別の「英語力の伸び」の部分で、世の中の価値観と現実のズレを感じることになったのです。
・・・つづく。
今回紹介した「人生の経営戦略LIFE」の本はこちら↓↓↓
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From 師範代Shinya(新村真也)
(やり直し英語達成道場 師範代)
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