From 師範代Shinya(新村真也)
(→前回のつづき)
今回の撮影で僕が密かに楽しみにしていたのは、「プロの撮影現場を間近で見れる」ことです。
僕ら兄弟は、動画撮影に昔から興味がありました。
僕と弟は、動画撮影を小学生の頃(1980年代)からやっていました。
僕は、ビデオカメラなどの機材にはまったく興味がありませんでしたが、演技や動画の撮り方に興味がありました。
一方、弟は小学生時代から機械いじりが大好きでした。カメラの仕組みや、動画を撮った後の編集の機材などに強い興味を示していました。
お互いに情熱を感じるジャンルが違うので、2人でコラボ効果が生まれて、動画作りを楽しくやっていました。
小学生から動画撮影
小学生の頃は、ジャッキー映画をマネして兄弟2人でカンフーごっこをしているシーンを撮影していました。(今でも当時の動画が残っています)
中学の頃は、当時人気があった「ビデオあなたが主役」というTV番組にビデオを送りました。
この番組は、一般の視聴者がホームビデオで撮った「おもしろ映像」「かわいい映像」「びっくり映像」などを紹介して、芸能人がコメントしながら盛り上げる、というものです。
渡辺徹さんと西川きよしさんのダブル司会で、ゲストの中には当時はまだ若かったダウンタウンさんが出ていました。
この番組に僕ら兄弟が出演しているビデオを投稿して、採用されて放映されました。
たしか、採用されるとTV局からの謝礼金が2~3万円ぐらいもらえたような記憶があります。
当時はテレビの影響力がすごくて、中学校で学年の違う先輩の女子達から「こないだテレビに出てでしょ?」と声をかけられ、嬉しくなりました。
また、当時僕が学校帰りに通っていた駄菓子屋でゲームをしている最中に、高校生のコワモテのヤンキー達から「あれ?おまえこの間テレビに出てた中学生じゃね?」と声をかけられ、震え上がりました。
大人になっても動画撮影
高校卒業後は、僕はアクション俳優を目指して芸能スクールに通ったので、弟と一緒に「カンフーアクション映画」を作りました。
その後、僕はダンスの世界にハマったので、自分の動きチェックのために動画をフル活用しました。
(当時はまだ機材には興味がなかったので、父の持っていたビデオカメラを借りて使っていました)
28才以降に兄弟でマジックショーをやるようになってからは、弟と一緒に自分たちのステージを動画撮影して、YouTubeに投稿し始めました。
(当時は2005年頃なので、YouTubeはまだまだメジャーな存在ではありませんでした)
起業してからも動画撮影
そして僕が40才で独立起業してからは、YouTube上に「師範代Shinya」チャンネルを立ち上げて、自分ひとりで撮影&編集した動画を投稿するようになりました。
(この時にやっと、借り物ではなく自分のビデオカメラを初めて買いました)
その後は、それまではまったく興味のなかった撮影機材を勉強し始めて、どんどん「機材沼」にハマっていきました。
・手のひらサイズのミニカメラ(まだ序の口)
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・ホームビデオカメラ(メーカー&機種選びの沼)
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・一眼カメラ(機種&レンズ選びの沼)
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・業務用ビデオカメラ(細かい設定方法の知識沼)
という順番で、だんだんマニアックな世界に足を踏み入れていきました。
そんな僕にとって、今回のディアゴスティーニの撮影で「プロの撮影現場」を見れるのは、とても興味がありました。
・・・つづく。
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