From 師範代Shinya(新村真也)
(→前回の続き)
いよいよ、音読の授業の開始時間が近づいてきました。
生徒さん達が次々と玄関から校舎に入ってきます。
入り口付近で「Hello!」とあいさつした後に、それぞれが慣れた手つきで名前を個室に入っていきました。
音読の校舎は、2階建てになっていて、部屋は全部で9つもあります。
1つ1つの部屋は、音読学習するのには十分な広と快適なスペースです。
それぞれの部屋にみんなが入って10分ぐらいしたら、先生達は様子を見ながら各部屋を回っていきます。
僕も先生と一緒に部屋に入らせてもらいました。
まず先生は生徒さんに英語で簡単なあいさつします。
その後すぐに、生徒さんの音読が始まりました。
この日は高校生の生徒さんが多かったのですが、僕が入った部屋の高校生はスゴい流暢な英語でスラスラ音読を始めました。
かなりやり込んでいるのが伝わってきます。
音読の内容もレベルが高いです!
英検で言えば、2級のリーディングぐらいの難易度です。
最後まで読み終わった後、先生が英語でフィードバックしました。
その後、生徒さんはシャドーイングをすぐに始めました。
すると、シャドーイングも音読以上に慣れた感じでスラスラとよどみなく声を出していきました。
高校生でシャドーイングがスムーズにできる人は、決して多くないと思います。
おそらく、日常的に相当練習しているであろうことが、すぐにわかりました。
シャドーイングが終わると、すぐにサマリー(要約)を始めました。
長い内容をまとめるためには、文章をしっかり読み込まなければなりません。
どちらかというと、普通に読み上げるよりも要約を自力で作文して言う方が、力が必要です。
要約が終わると、先生がまた英語でフィードバックします。
それが終わると、すぐに続けて先生が内容に関しての意見を聞きました。
この部分は完全にアドリブです。
事前準備ができません。
生徒さんは聞かれた後にちょっとだけ考えた後、すぐに口を開き始めました。
そして、自分の意見を言い始めました。
言ったことに対して、またすぐに先生が質問を返します。
それに対してまた返す・・・という流れを繰り返しながら進みました。
この手順もすごく慣れていて、生徒さんはよどみなく自分の意見を述べているのが印象的でした。
自分の意見を言う難しさ
実は英会話で一番難しいのは、この「自分の意見を言う」部分だと思います。
僕ら日本人にとっては英語力の問題だけではなく、
「そもそも何を言えばいいか分からない」
「内容が思い浮かばない」
というケースは多いです。
西洋文化では小さい子供のうちから「あなたはこれに対してどう思う?」という質問を学校や親からされるケースが多いので慣れています。
でも、日本では自分が発言する機会はほとんどありません。
先生に当てられたり、手をあげて答えるときには、「自分の考えを述べる」というよりも「求められた答え(正解)を言う」ケースが多いです。
そんな僕らにとっては、英語の「What do you think about 〜(あなたはこれに対してどう思う?」という言葉は、とても答えづらいものなのです。
アンチコメント問題が発生している理由
その苦手意識があるがゆえに、日本人はSNSなどで自分の意見を積極的に発言している人を見つけると、必要以上に攻撃してアンチコメントを書いてしまう人の数が多いのではないか?というのが、僕の仮説です。
学校で発言する時には「正解か?間違いか?」の2択でジャッジされることが多いので、自分と違う意見を聞いたら「それは間違っている!」と正しさを主張するための攻撃性が生まれてしまうのです。
なぜなら、もし自分がその人の主張を認めたら、「自分が間違っている」ことになってしまうからです。
一方で、西洋文化では「人の意見は違って当たり前」「違う意見を言い合ってお互いを認める」というワークを子供の頃からやっているので、自分の意見と違う人に過剰反応しないで穏やかな対応をするケースが多い気がします。
僕はよく海外ユーチューバーの動画のコメント欄を読んで「生の英語の理解度チェック」をするのですが、日本のユーチューバーのコメント欄の内容と海外ユーチューバーのコメント欄の内容は明らかに違いがあります。
海外の方が、コメント欄に攻撃性が少ないのです。
「君はそう思うんだね。なるほど。ところで私はこう思う。」
みたいな意見の主張をする感じです。
そしてそれを読んだユーチューバーの方も「なるほど。それも一理ある。」みたいなコメントをしているケースが多いです。別に相手と自分のどっちが正しいか?にはあまりこだわっていない気がします。
対して、日本のYouTubeコメントは反対意見を言うときには「あなたがそんなこと言う資格はない!」「あなたは間違っている!」「俺はお前のことが嫌いだ!」というような、一方通行な内容が多い印象です。
これでは、言われた側もそのコメントを無視するか、強い言葉で攻撃し返す以外に選択肢がありません。
もちろん、海外でもこういった「違いを認めない」「一方的で差別的な攻撃」のコメントなどは一定数あります。
でも、その比率が日本に比べると少ないような気がするのです。
「反対意見全体の中での、一方的な批判コメントの比率」
が少ない、という意味です。
日本人が自分の意見を言う機会が増えて慣れてくれば、自分と違う意見を持つ人に対して過剰反応しづらくなるような気がします。
その結果、相手の意見との違いを「自分の価値が脅かされている」と感じるケースが減って、生きやすくなるのではないでしょうか。
高校生のうちから自分の意見を言い、相手の意見を言う練習を積んでおくことで、「違いを認めて、穏やかに生きる」姿勢を身につけられます。
すると、他ならぬ自分自身が得をすることにつながると感じます。
ジョイのレッスンは、そんなことを深く考えさせられる授業でした。
・・・つづく。
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