From 師範代Shinya(新村真也)
(→前回のつづき)
※僕が20才の頃、「鉄工場の作業員」から、「アクション俳優」に転職しようと決めて、「俳優養成所」に入った時のストーリーの続きです。
イトーヨーカドーに転職してバッグ売り場で働き始めたら、それまで味わったことのなかった「週休完全2日制」の生活が始まりました。
これまでとは違って、空調が効いた快適な館内での仕事は、それまで僕がいた工場とはまったく違う環境でした。
パート社員なので、残業もほとんどありませんでした。
肩書きはパート社員といっても、中小企業で正社員として働くのとほとんど変わらない待遇でした。
学生アルバイトのように「入れる日に仕事を入れるようなシフト制」ではなく、週2日の休み以外の日は、「毎日固定で7時間半働く」というスタイルでした。
社保完備で、福利厚生もしっかりしていました。
僕の毎月の手取りの給料は鉄工場で正社員だった頃よりもアップしました。
僕はこの時、「正社員で働く方が待遇が良くて将来安泰、という考え方は幻想ではないか?」と感じました。
もちろん、景気が悪くなれば正社員よりもパート社員の方が先にクビを切られやすいでしょう。
でも、中小企業の正社員と、大企業のパート社員では、「景気が傾いて仕事を失う確率」という面では、どっちもたいして変わらないような気がしました。
まして、僕の場合はまだ役者への道を捨てたわけではないので、同じ会社で長年働くつもりはありません。
そういう点で、イトーヨーカードーのパート社員という立場は、とても良い選択だと感じました。
仕事を変えて大正解!
イトーヨーカードーに転職したおかげで、僕の生活は激変しました。
・空調が効いた環境で1日を過ごせるので、暑さ&寒さに耐えるための体力を消耗しない。
・身体に有害な物質や危険な道具を使わないため、仕事中にケガや病気をするのではないか?という恐怖がない。
・職場の人間関係が良く、精神的に消耗しない。
・社員食堂があるので、ヘルシーな食事を毎日安く食べられる。
・給料の手取りがアップしたので、自由に使えるお金が増えた。
などなど、色んな面で人生が豊かになりました。
僕は1日の仕事が終わった後も、時間とエネルギーはまだ残っていました。
その余った時間とエネルギーを、演技の練習と自作アクション映画の作業に充てることができました。
それどころか、職場の仲間が僕のやっている自作映画の撮影に興味を示して、カメラマンとして手伝ってくれることになりました。
僕の計画は、どんどん進んでいきました。
体調も良くなり、それまで続いていた夜中の咳も出なくなりました。
初めて仕事を変える前は「次の仕事が見つからずに路頭に迷うのではないか?」という恐怖で足がすくむ思いでした。
でも思いきって外の世界へ飛び出してみたら、こんなにも豊かな世界が広がっていました。
自分自身の「日本という国に対する見方」も変わった感じでした。
職場が人生に与える影響
僕は18才で鉄工場に就職して以来、毎月の全社員会議の中で社長の口から、
「昔は良かったけど、今は景気が悪くてピンチ」
「リストラしなければならない」
「早期退職者を募集します」
などのネガティブワードを聞き続けていました。
最初の就職先でそんな感じだったので、僕の中で「日本はヤバい!」というイメージが植え付けられていました。
こんなに苦しい職場環境に耐えて働いても、ボーナスもまったく出ないほど苦しいのが、今の日本の企業だと思っていたのです。
でも、職場を変えただけで、こんなにも日本に対する見方が変わるとは思っていませんでした。
「あれ?日本て本当は豊かな国なんじゃないの?」
と思うようになったのです。
「こんなことなら、もっと早く行動に移していれば良かった!そうすれば、体調を崩さずに済んだのにな・・・」
と思いました。
でも、体調を崩したからこそ強制的に前へ踏み出すことになった、とも言えます。
とにかく、僕の人生初めての転職は、当時の僕の目的を果たすのに最善の選択肢だったと、後で気付きました。
・・・つづく。
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