From 師範代Shinya(新村真也)
(※僕がカナダに3ヶ月間留学してから帰国後の、日本での体験談です)
(→前回のつづき)
僕は、カナダ帰国後に就活をしながらも、同時進行で自分が留学前に通っていた大手英会話スクールのビラ配りのバイトをしていました。
ビラ配りの時には、自分が3年間通った教室にスタッフとして出入りすることになります。
自分がここの生徒だった頃は、いつも他の生徒の人たちがたくさんいたので、ロビーやクラスルーム内は騒がしい感じでした。
でも、今は平日の昼間のレッスンがない時間帯に出入りするようになりました。
駅前へビラ配りに行く前に、ビラをティッシュに詰めたりする作業もやっていました。
その作業は、空いているクラスルームの中に入ってやっていました。
誰もいないクラスルームにいると、今までと違った視点で見渡すことができます。
教室内のホワイトボードを見ているうちに、不思議な感覚に包まれるようになりました。
イメージ
僕の頭の中には、ホワイトボードの前に立って英語を教えている自分の姿が浮かび上がってきたのです。
今まで3年間、生徒側の視点でイスに座ってきたのに、なぜか僕の頭の中には自分が教えているイメージが鮮明に見えました。
そこで僕は、おそるおそるマーカーを手に取ってみました。
そして、ホワイトボードの前に立ち、今自分がビラ作りをしていたイスを見ながら、「レッスンごっこ」をしてみました。
この部屋には僕1人です。他のスタッフや先生たちは今会議中らしく、ミーティングルームにこもって出てきません。
僕は、ウキウキしながら「ひとりレッスンごっこ(カッコよく言えば、エアー・レッスン」を楽しみました。
僕がこの3年間積み上げてきた、「イメージ英文法の知識」や「ネイティブ発音に近づけるコツ」などを教えるフリをしてみました。
とても気持ちいい気分になりました。
「あぁ、俺は本当は、こういう仕事をしたいんだよなぁ・・・」
という、自分の本音が見えました。
高卒のカベ
でも、僕には大きなカベが見えていました。ここしばらく就活をしながら、英会話スクールや学習塾の求人広告を見てきましたが、高卒の人を雇っているところは1社もありませんでした。
もちろん、僕が今こうしてビラ配りのバイトをしている英会話スクールのホームページの求人ページも、最終学歴は短大からしか選べませんでした。
「高卒」や「専門学校卒」は選ぶ項目がないので、そもそも先のページへ進むことすらできません。
僕が調べた限り、英会話スクールを含めた「教育業界」は、高卒では全滅でした。
その他の業界も、飲食系や販売系以外は、ほとんどが大卒からになっています。
こうして見ると、改めて日本は(日本だけじゃないかもしれませんが)学歴社会だなぁと感じます。
僕が教育業界で「会社員」として雇われる確率は、限りなくゼロに近いと感じました。
3つの選択肢
僕に残された選択肢は大きく3つありました。
①海外と取引のある日本企業に就職する
②外資系の企業に就職する
③独立して自分で英語スクールを立ち上げる
本当は、
「大手英会話スクールに就職して講師になって、教える経験を十分に積んでから独立する」
というのがベストだと思うのですが、高卒の僕を雇ってくれるところがない以上、仕方ありません。
僕にとって、英語を教える仕事は、今までやってきた仕事内容とはまったく違います。
完全に新しいフィールドで、新しい仕事をするのに、いきなり独立するというのは、かなりハードルが高く感じていました。
未経験だと評価されない
「新しいフィールドに挑戦しづらい」というのは、企業に就職する場合でも同じでした。
中途採用の場合、未経験の職種に応募するのは、かなりハードルが高くなります。
「経験者優遇」とダイレクトに書いてある所も多いです。
地元の就職支援施設のカウンセラーの人と話した時も、「今まで経験した職種と同じ業種に応募した方がいい」と何度も言われました。
そのたびに、僕はため息が出ました。
「英語を身につけて、仕事を辞めて、思い切って留学して、海外で新しい価値観を学んできたのに・・・また、同じ業種で、同じような仕事をしながら、同じ生活に戻るのか?そんなのイヤだ!!」
という思いがわき上がってきました。
モヤモヤ感
それでも僕は、いろんな企業に履歴書とカバーレターを送りながら、就活を続けました。
でも、なんだか複雑な気持ちでした。
応募した会社から、書類選考が落ちたことで履歴書が返ってくるたびに、ホッとしている自分がいました。
「もし受かっちゃったら、どうしよう?俺は本当はこの仕事をやりたいわけじゃないのに・・・」
というのが本音でした。
だから、「書類選考で落ちるたびに、安心する」という矛盾した状態が続きました。
「俺は本当は、英語を教える仕事をしてみたいんだ!未経験だからこそ、やってみたいんだ!」
その気持ちが抑えきれずに、モンモンとした状態が続きました。
地元の就職支援施設のカウンセラーとはもう、話す気になれませんでした。
そこで、僕は再び、東京にいるキャリアカウンセラーの佐藤さんのところに向かいました。
・・・つづく。
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